カテゴリー「ギラン・バレー、廃用、回復」の20件の記事

2009年9月 2日 (水)

ウェルキャブGET

1年越しで探していた福祉車両、やっと手に入りそうだ。

VOXYのウェルキャブ  7人乗り セカンドシートが電動で外を向いて下りてくる。

当初の希望は助手席が動く8人乗りだったのだが、今回見逃すと次はいつ出てくるか分からない、7人乗りで手を打つことにした。

年式も希望よりかなり新しく価格も予算の倍近いが、今必要なのだから まぁしょうがない。

これで約束の美味しい刺身と天ぷらを食べに連れて行かれそうだ。

しかし・・・

最近母は施設に居るのが飽きたと言う。

一日テレビを観てるだけではつまらないと言う。

かみ合わない会話が気に入らないと言う。

じゃあどうしろと?

確かに体の自由が利かないだけで認知症状の無い母には施設の暮らしは楽しくは無いのかも知れないが かといって1人暮らしをしていた身 今の状態で家に帰るわけにはいかないのである。

それはご当人も充分理解はしているが、それでも家に帰りたいのだ。

気持ちは分からないではないが 帰るとなれば考えなければならない事が山積で。

なによりも家

玄関の前に車を付ければ電動シートを下ろして車椅子に移乗させるだけの幅は無い

玄関前の石段にスロープをつけたら車が入るだけの幅が無い

玄関内も車椅子を乗り入れるだけの広さはないし上がり框の段差は超えられない

古い平屋で真ん中の廊下を挟んで両側はしっかり独立した部屋、それも襖と障子とドアでは手すりを付けられない 

廊下の幅は三尺(約90センチ弱)なおかつ廊下と部屋の境は段差がある 当然車椅子で直線移動は出来ても各部屋に出入りは出来ない

トイレは奥まっていて車椅子で入れない

ずっと昔の家屋のように隣の部屋との仕切りが襖だったら外してしまえば広い空間も作れただろうが、戦後の高度成長期に立てた中途半端な現代家屋 各部屋の独立性は保たれたものの母1人で生活するようになったら不便な事この上ない。

暖房も冷房も他の部屋まで行き届かないし 部屋を移動するにも戸をあけて廊下に出て戸を閉めて、部屋の戸を開けて部屋に入り戸を閉める(どこの家でもそうだと言われればその通りなのだが 笑)

母が倒れた頃、部屋のテーブルの上にはありとあらゆるものが運び込まれ並べられていた。

理由を聞くと、何か一つ取りに行くたび、または置きに行くたびに 開けて閉めて開けて閉めて、また開けて閉めて開けて閉めて・・・寒いときには部屋の温度差が辛いからと。

リウマチ持ちの高齢者の1人暮らし、まだまだ大丈夫だと思い込んでいたがやはり辛かったようだ。

今、家に戻って生活する事は出来ないが 昼間短い時間でも家で過ごす事が出来るようにしてやりたいと考えてはいるがそうするには家の改造が必要なのである。

だが・・・

施設で車の入れ替えの件を話し、今度の車なら新宿まで父の墓参りに連れ出しても良いかと聞いてみた。往復の時間を聞かれ、多分帰りに昼を食べて戻るまで4時間程だと思うと答えると、腕組みして考え込まれてしまった。しばらくして帰ってきた返事は「その時の体調次第ですね。当分のあいだは近所で食事くらいの所から始めてはどうでしょうねぇ」と。

そうか、やっぱりこちらが考えるほど回復してるわけじゃないのか。

でも、「動けるうちに」とか「帰れるうちに」とかの境目は何時なんだろう?

時が経ったら動けるか?

時が経ったら行かれるか?

時が経ったら帰れるか?

年寄りの元気ってどこまでが元気だ?

万が一、行ってきて体調を崩しても今行かれるうちに行った方が良くは無いか?

年寄りだけじゃない、若くたって明日は分からない・・・

車GETでほっとして書き始めたのになんだか暗くなってきた。

来年の春の彼岸には親父の墓参りに母も行かれますように(願)

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2009年7月25日 (土)

今の母 7・25

5月上旬に39キロまで落ち込んだ体重は、高カロリー飲料の持込で40.7キロまで回復した

とりあえず やれやれである

所内の移動には 歩行器を使ったり車椅子を押しながら歩いたりで、歩く距離を伸ばしているようだ

手首の変形が無ければ 杖での歩行も出来そうだが、なにぶんリウマチで手首に負担はかけられないので車椅子が必須 それでも身の回りのことが自分で出来るようになったのはありがたい

といったところで6月に持ち込んだ夏用の靴、今は履いていない(やっぱり・・・)

エアコンが入ったら足元が涼しいので厚い靴下を履いたらきついと

ばあちゃん・・・  じゃあ夏用の靴は要らないんじゃん?

まぁいいけどさ、そんなことだと思ってた

役所から後期高齢者健康保険被保険者証が届いた

8月1日から新しい物を使うようにと

一緒に入ってきた印刷物には古いものを紺色、新しいものを紫色と色で区別するような内容の文章が書いてある

色?!  紺色?  紫色?

母が倒れてから書類の管理は私がしているが、今までの保険証で色を感じたことは無かった

中の文章は以下の通り

現在お使いの「紺色の被保険者証」につきましては、被保険者証記載の有効期限どおり、本年(平成21年)7月31日をもって、使用できなくなります。つきましては、有効期限が『平成22年7月31日』と記載されております新しい「紫色の被保険者証」をお送りいたしますので、平成21年8月1日以降は、この新しい「紫色の被保険者証」をご使用くださるようお願いいたします。なお、現在ご使用の紺色の被保険者証につきましては、平成21年8月1日以降はご使用できませんので、お住まいの市町村の長寿医療(後期高齢者医療)担当窓口へお返しくださるようお願いいたします。

以上 原文のまま

そして 紺色と紫色

Dscn2497

言われてみれば 紺色っぽいものと紫色っぽいもの・・・

文字を書くにはベースは薄い色でないといけないのだろうが、この色の差 見難くは無いか?

文字は少し大きくなったようだが、色分けするより有効期限の文字をもっとおおきく書いた方が分かりやすくはないか ?

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2009年5月25日 (月)

今の母 5・25テーマ混在

2月に書いたきりになっていた今の母 回復はいたって緩やか

ギラン・バレーの後遺症は 少しづつ、本当に少しづつ回復している

が・・・

3月始めには体重40.5キロとなり、このまま増えていくと足に負担がかかってもいけないと高カロリー飲料の持込を一時ストップした

発病前は34キロ、一時は27キロまで落ちたのだから40キロあれば御の字で、ただでさえリハビリで足に負担がかかるのにあまり体重を増やしてもいけないかと

しかし・・・

4月の体重測定で40キロを下回った

施設の食事、一日熱量は1200キロカロリーだそうだが やっぱり施設の食事だけでは足りないか

と言うより、食事を見てると「辛いと食べられない」「これは好きじゃない」と残す

私が見ていてもそうなのだから、見ていなければもっと怪しい

母の場合、体重を増やすために何を食べてもいい事になっている

同じものを食べてるのにふくよかな人もいる

そんな中 2月の半ばにあった健康診断の結果がやっと手元に来た

血液検査の42項目(すごっ 笑) プラス胸部レントゲン

まぁいくつか数値が基準を外れたものはあるものの、どれも大学病院にいたころから指摘されていたものだし 特に大きく外れているわけでもないし

一応「要精検・胸部CT」とはなっているが本人が乗り気でない以上無理やり検査も出来ないし・・・

回復の速度よりリウマチや老化の速度の方が速いようで・・・

手首の変形は進み傾向

少しの作業で炎症を起こすし首の痛みは相変わらずらしい

そして今月初め 体重は39キロを割りそうである

やはり施設の食事(1200kcal/一日)だけでは体重の維持は難しいらしくまた高カロリー食を運んでいる

相変わらずのこれキューピー ジャネフケア

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今回は前回の6種類にヒアロケア4種類を追加して10種類購入

かぼちゃスープを飲んでみた

この中では見た目も食感(飲み心地)も一番違和感が無いかも知れない

1週間分づつ運んでいるが少しづつ余ってくる

ばあちゃん、飲んでないね・・・

一緒に持ち込んでる高カロリーフードもあまり減ってないし

まぁ これは本人が飲まなければ それはそれで仕方が無い(と思うしかない)

施設利用料金

介護保険の改正で施設利用料金が少し値上がりするようで 契約書の書き換えをした

値上がりは一日あたり38円~40円だそうだが1ヶ月にしても1200円前後

この金額では介護職のみなさんの待遇が良くなるとも思えないが・・・

介護認定更新審査

6月末で有効期間が切れるので、更新の調査があった(らしい 笑)

入所時が要介護5、その2ヶ月後が要介護4

あれから一年 今回の調査ではどんな数字が出てくるか

下がった場合は、一定期間 以前の介護度を適用する事が出来るとある

そういえば 更新審査の申請書といっしょに来た用紙に不思議な項目があった

今回の審査について「希望するものを選べ」とあり

・前回から介護度が下がった場合 前回と同じ介護度を希望するかしないか

・前回から介護度が上がった場合 前回と同じ介護度を希望するかしないか

・前回から上がっても下がっても前回と同じ介護度を希望するするかしないか

何じゃこりゃ~  希望すれば変わるのか? それとも単なる意識調査か?

介護度が上がる=施設利用者は負担金が増えるが在宅介護では使える介護サービスが増える

介護度が下がる=施設利用者は負担金が減るが在宅介護では使える介護サービスが減る

補助金や助成金との兼ね合いもあることだし 上がった方が良いのか下がった方が良いのか 簡単には答えが出ない

要介護5または要介護4と要介護3との差は補助金の有無くらいで 深刻な差は出てこないが

要介護1と要支援2との差は大き過ぎるほど大きい

この春の介護保険制度 改正なのか改悪なのか

役所のすることは どうも解らない

新型インフルエンザ

これのおかげで 今、面会に行っても母の部屋までたどり着けない

受付で声をかけると下のロビーまで連れてきてくれる

だけど・・・

これ、どこまで有効なんだろう?

本当に防ぐのだったら全入居者面会謝絶だろうになぁ・・・(^-^)

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2009年4月 3日 (金)

施設入所から一年

母が老人介護施設に入所してからもうすぐ一年が過ぎようとしている

一年前の母は寝返りも打てず、もちろん自力で座っていることも出来ず

リハビリをするたびに発熱し、体力は消耗する一方だった

病院の相談員さんが探してくれてリハビリ専門病院に転院の予約も取れてはいたのだが、リハビリ専門病院で辛いリハビリをすることが本当に母のためなのか、それとも老人介護施設でゆっくりと毎日を過ごした方がいいのか・・・

高齢の母のことで葛藤の日々だった

リハビリはもっとも大切なことと医師からは言われていたし、本人もリハビリを我慢して受ければ元のようになると信じて頑張ってはいたものの衰弱した体は正直でそれに耐えることはできなかった

病院ではギラン・バレー症候群の、しかもリウマチもちで78歳と高齢のリハビリの経験は無かったらしく、リハビリの度に熱を出す母を少々もてあまし気味だったようで・・・

病院としてはもう治療は無いのだし、入院している以上リハビリでもしないことには色々まずかったのだろうが・・・

まぁ言うまい 言ったところで時間が戻るわけでもない

ぎりぎり短時間ならと車椅子に座ったままの施設入所への移動30分、ちょうど桜の季節だったのに桜が咲いていたのかどうかの記憶さえ無い

今、母に会いに走る同じ道、桜の木がたくさんある

桜、こんなにあったんだ・・・去年の桜の季節はすっぽりと抜け落ちている

そして今の母、手の痺れが残っているし、もともとリウマチで手首の変形が強かったり関節の可動域にかなり不自由なところはあっても、とりあえず自分の身の回りは自分でできるようにまで回復した(多分これ以上の回復は難しいと思われる)

思うようにはならないまでも、手はまあまあである

あとは足の回復を願うが、これがまた難しいことで・・・

生活のほとんどは車椅子に乗ったままではあるが、見守りがあれば十数メートルの歩行が出来るようになっている

歩けると言っても膝の関節の曲がりも伸びも充分でないために車椅子からバーに掴まって立ち上がり、膝が曲がったまま腰も曲がったままでの歩行である

それでもこの一年を振り返れば、よくぞここまで回復したと思う

とは言うものの

回復してくれば、人間贅沢なもので最近ではあれこれ愚痴が増えてきた

施設には認知症の老人も多く入所している

と言うかほとんどが認知の症状を持っていて、会話が少しづつ外れていったり自分の物とひとの物の見分けがつかなかったり

また、誰彼かまわず腕を掴んで放さなかったり突然後ろから他人の頭を叩いたり

そんな些細な事が気になるらしく行くたびに色々私に訴える

訴えられてもなんと答えたらよいものか

今の不満は、各部屋に入り込み物をポケットに入れて持って行ってしまう人が居ることのようで、身の回りのものをことごとく仕舞い込んである

仕舞い込んだところで、あちこち開けまわして物を持って行くわけだから意味が無い

すべての持ち物には名前が付いているので一時無くなっても夕方には介護職のお姉さんが取り返して戻してくれるのだから心配はいらないと話しても納得がいかないらしい

人間長く生きていて認知症の症状が出たときに、どこの回路が消滅してどこの回路が残るかなんて自分自身で選べるわけではないし

傍から見てちょっと迷惑な行動があったとしてもそれはご本人の人格とは別のところで・・・

その辺を理解してあげないとねと答えてみる

まぁそう言ったところで私の話なんか聞いちゃいない

一日中暇なんだからこれをどこに隠しておいたら持って行かれないか考えるのも頭の体操にはなるのか

母からすれば自分の訴えをちっとも親身になって聞かない娘も不満のタネかもしれないけどね

聞いたところでどうにもできないこっちの気持ちも考えようよ

ねぇ婆ちゃん  婆ちゃんったら!

お互いにひとの言う事を聞いてないんだから

お互い様(^-^)

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2009年2月 2日 (月)

今の母 2・2

ほぼ1ヶ月経って 今の体重は39.7キロ

高カロリー飲料は飲んだり飲まなかったり

ここまでくれば 目標の40キロまで もう一息 まぁ いいかな

手の痺れはなかなか取れないが 発症から一年 良くぞここまで回復してくれたものだと思う

首の痛みはなかなか治まらないようで まだネックカラーをつけたままである

他の整形外科に行って診てもらいたい気持ちもあるらしいが 施設の提携病院との兼ね合いもあって どうも色よい返事はもらえない

今の整形外科の医者を信じないわけではないが もう一件見てもらったら本人の気が済むのかとも思う

それにしても リウマチの薬もあるし そうそう薬が増えるのも不安は残る

高齢になると 医者にかかるにも 簡単にはいかなくなってくる

施設の意向に反してまで外の医者にかかるというのも 今後を考えると 如何なものかと

なんだか あれこれ考えて 堂々巡りの今日この頃

まぁ 私が考えたところで 何の解決にもならないのだけれど・・・

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2009年1月 9日 (金)

ネックカラー装着

新しい年が明けて、母の体重も39.3キロになりやれやれとほっとしたところで昨日の朝、施設からの電話

首が痛くて頭を支えている事が出来なくなり、食事もベッドで取るようになったので受診したいとのこと

え~・・・?一瞬ギラン・バレーの再燃が頭をよぎる

まぁ確かに1ヶ月前くらいから寝違えたらしく首の筋が痛いとは言っていた

正月に行ったときは首にシップ薬を貼っていたけれど元気だったしご機嫌でいたのに

昨日はたまたま用事があってすぐに病院に行くことは出来ないと答え、用事を済ませてその足で施設に行ってみると部屋で寝ていた

あたまを支えられないのは力が入らないのかそれとも筋が痛いのかと聞いたら首の筋が痛くて上がらないらしい

ギラン・バレーの再燃では無さそうだ

夕食もベッドの縁に腰をかけサイドテーブルで食べていた

が・・・ばあちゃん、そんな不安定な格好で食べるより車椅子で食堂の方が楽な気がするよ

ベッドから起き上がるとき頭が重くて首が痛いからベッドの柵に掴まって起きるから肩も手も痛いって

ばあちゃん、ベッドの背もたれを上げたら柵に掴まるよりも楽に起き上がれるよ

そう伝えたら一言

「あ~思いつかなかったよ」と

何のための電動ベッドだい!

食事の後、しばらくは横になってはいけないとの事でベッドの縁に腰をかけゆらゆらしながら座っている

だからね、婆ちゃん ゆらゆらしながら首のバランスを取るのは辛いでしょっ

背もたれを上げて寄りかかっていたら少しは楽じゃないかい?

その後

介護職のお姉さんと看護師さん、母と私の四人で話し合った結果今日の受診となった訳である

病院の待ち合わせは10時半、その前に受付を済ませて待つために家を9時半に飛び出す

この病院、駐車場は相当に広い  

が、交通の便がとても悪いので車はそれ以上に多く、いつも置くところを探すのに苦労する

今日は相方の車を置いていってもらって乗っていく、軽なら隙間に押し込める

と思っていたらその隙間も今日は無い、しょうがないから通路の端っこに置いちゃった

受付を済ませ、送られてきた母を受け取って診察、先ずはいつも見てもらっている内科と外科の医師

昨日のうちに電話で話が伝わっていたのでここは話が早いが結局、整形外科に回され首のレントゲン検査

整形外科での診断はリウマチによる頚椎の変形から来る痛みとの事で医師は一言

「痛みはしょうがないね」と

しょうがない?!  しょうがないって事は痛くなくはならないってこと?

痛みは取れないのかと聞いたら

「取れないね~。首にカラーを巻いておくから寝る時意外は外さないように。じゃあそういうことで」と外に出された

廊下に出て、母と2人で笑った 何だか無性に可笑しくて可笑しくて

痛みは取れないんだって  しょうがないんだって

笑ってたら内科の診察室にまた呼ばれて、医師いわく

「そういうことで・・・ね。 筋のこわばりを取るお薬が出てるからこれもらって帰ってね」

以上、今日の受診

家を出てから帰るまで5時間半

結果は一言 「しょうがない」 だって

まぁ  ギラン・バレーの再燃でなくて一安心だけど

この先 痛いところばかり増えてくるのかなぁ~

 

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2008年12月29日 (月)

年内はここまで

一年前の今頃は葬式の相談までしていた

クリスマスも正月も気が付かないうちに過ぎていた

病名も分からず四肢麻痺で全く動けなくなり意識は混乱して会話も成り立たず

先の見通しの無いままの年の暮れだった

今、考えれば考えるほどヘンテコな病気に罹ったもんだ

動かなかった手足は、とりあえず身の回りのことは自分でできる位に動くようになり

認知症かと思っていた意識の混乱は全くなくなり

うっかりすると自分自身よりしっかりしているかもしれないほどである

あと残された課題は体重を何とか40キロ台に乗せることと歩く事であるが、これがまた難しいところで・・・

体重を増やすために買い続けている高カロリー総合食

今度はキューピーファインケア125ml

リカバリーミニは一箱単位の購入で12本×5種類となり買うとなると一気に60本

CZポチは6種類×3本で18本 数量は手ごろだが容器が母には不評

ということで、今度はキューピーのファインケアを注文してみた

一本の内容量はやはり125ml 一本189円なり

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バナナ・いちご・コーヒー・紅茶・黒胡麻・おしるこ の6種類

キューピーは各々数量は自由に設定できるのでとりあえず5個づつの注文とした

開けて飲んでみる

やっぱりベージュの液体、味は・・・いくぶん飲みやすい気はするもののあまり変わらないか

このところ飽きたのかあまり飲んでいないようで・・・

まぁ、体重38.6キロ、発病前の34キロよりも多いのだからよしとするか

年内更新はここまで

皆様良い年を迎えられますように

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2008年11月 8日 (土)

今の母 11・8 (追記あり)

(追記)介護施設利用料金、残っていた2件分完了しました

ギラン・バレー症候群発症から、あと一週間で11ヶ月となる

このところの回復は以前にも増してゆっくりで特筆するような事は見当たらない

が・・・確実に回復はしているのである

今日は運良くリハビリの時間に立ち会うことが出来たので、リハビリをレポートしてみた

リハビリ室には隣のベッドのおばあちゃんがリハビリの最中で、勾縮のある肩や膝をゆっくりと動かされていた

その後リハビリベッドの縁に腰掛け、数秒間支えの手を離してバランスをとる事を数回繰り返して終了

さて、今度は母の番だ

リハビリと言っても、このところリウマチが出て手首が痛んでいるので他の関節にも無理がかかるようなことも出来ない、あくまでも本人の希望する「歩くリハビリ」を集中的にする

平行棒でのリハビリ

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腰が伸ばせない、膝が伸ばせないと訴えるが、婆ちゃん

もう目の前79歳だものそんなもんじゃないかい ?

4ヶ月も寝たきりで手も足も動かなかったんだもの

あの頃から見れば脅威の回復だよ

そろそろ一日何時間かを歩行器での移動練習にしてみたらどうかとの提案に、施設長みずから歩行器を用意しに行ってくれた

彼、満面の笑みでいわく

「だってさぁ、○○さんが自分で動けるようになるって事は我々も仕事が減って楽ができるってことだものね~」と

この施設長、いつも外の水撒きやら掃除を自分でする

いつ行っても砂ネズミみたいにコロコロ動いている、TOPが動きすぎると下が仕事しにくいって事もあるよね

施設長の「世の為・人の為」にと言う夢や理想はありがたい、だけどここでも介護職員の移動は多いようで新聞の求人広告は頻繁に見かける

何はともあれ、母はそれなりに元気にしている

・車椅子を動かすのにイボイボ軍手を持ってこい

・冬用パジャマの飾りボタンが邪魔だから取ってから持ってこい

・車椅子の肘掛に傷が付いたからビニールテープで塞げ

は~い、あんたが大将! なんでも言ってちょ~(笑)

体重は38.1キロ、最低限の目標40キロまであと少しである

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2008年9月26日 (金)

母の3週間 まとめて更新

9月1日にわがPCが突然(でも無いんだけど)不調になってから約3週間の間、母のところに行く時間も結構増えて・・・

ギラン・バレー発症での四肢麻痺から9ヶ月

下肢
平行棒に掴まって歩くようになり、途中で手を離して数歩なら進めるようになったが、まだ手を引かれて歩くと途中でふいに膝が折れてしまうことがあるので、まだまだ一人での歩行は危険なようだ。ここまで来ればベッドから車椅子への移乗も出来そうな気がするが、太ももの筋肉が足りないのか寝た状態から足を上げることはまだ出来ない。

上肢
指の痺れは残っているらしいが日常の動作には特に不便は無く、自分のことは自分で出来るが、唯一ズボンをはくことが難しい。(やはり太ももの筋肉が足りないか)

排泄
車椅子から便器への移乗には全く問題が無いので一人でトイレに行ってもいいという許可が出た。これは相当嬉しかったようだ。

体重
運動量が増えたせいか体重は少し伸び悩んでいる。それでも35.5キロまで戻った。これは発病前より多いわけで、やはり食事をちゃんと取ることは大切だと実感したらしい。おかげで持って行くものはちゃんと食べたり飲んだりしている、ありがたい。

朝起きると上半身だけ着替えを済ませ、介護士さんを待ってズボンをはかせてもらい車椅子に移してもらう。その後は自力で洗面を済ませ自力で車椅子をこぎ食道食堂に向かう。

施設暮らしももうすぐ半年、最近ではすっかり慣れて介護士さんのお手伝いで結構重宝がられていると本人はご満悦である。

9月10日には施設でぶどう狩りの行事があった。支えられてハサミを持ちブドウの収穫

Img145

切ったブドウを大事に抱えて

Img144

いくつかはその場で食べたが、その他のブドウは施設に持って帰り3時のおやつにみんなで食べたそうだ。

そうそう、8月の終わりには屋上で花火見物をしたとか。特等席でとても綺麗だったとか、来年は我が家の年中行事の花火見物にこられる事を願う。

それにしても母がお世話になっているこの特別養護老人介護施設、こういう行事の負担金について一切請求が来ない。 以前調べた施設ではレクや日用品の費用も別のところが多かったのに。いいのかなぁ・・・

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2008年8月21日 (木)

今の母 8・20

8月6日から2週間経って、今の母

080820

ほんの短い間ではあるものの平行棒から手を離して立っていることが出来るようになった。

8ヶ月前、四肢麻痺の寝たきりで手も足も動かせずまるで棒のようだった頃からすれば考えられないくらいの回復である。

時々振り返ってみる8ヶ月間、最初の2週間くらいは生きた心地もしなかった。
病名が判らず治療の行く先も見えず、日々衰弱していく母を見ながら毎日病室に通っていてもどうすることもできなかった。
夜寝る時には携帯電話を枕の下に入れ、いつでも飛び出せるようにして寝ていたっけ。

意識の混乱がある頃には、今すぐ命がどうこうと言う心配が無くなっていたので会話がしっちゃかめっちゃかでもそれはそれで結構面白かった。寝たきりになったための認知症の始まりだと思い込んでいたし、それならそれでその方が本人も幸せなのかも知れないとも思っていて、適当に話をあわせる会話をしていた。

枕の中には友人が居て一緒に帰ろうと言っているから家に帰ると言う、婆ちゃんはまだ帰れないから先に帰ってもらうようにと答える。が・・・
友人は枕の中から出られないと言っているから看護士さんに頼んで出して貰ってくれと言う、看護士さんは忙しいからもう少ししたら頼んでみるねと答える。
早く看護士さんを呼んで来いと言う、じゃあお友達には今晩枕の中に泊まって貰ったらどうだろうと答える。
友達を枕の中に泊めても良いかどうかを看護士さんに聞いて来いと言う、一度病室から出て少ししてから戻り、許可を貰って来たから泊まって行ってもらおうねと答える。
枕の中の友人に今晩泊まってくれるかどうか聞けと言う、枕に向かって「○○さん、今晩泊まって行ってくれますか?」と聞いてみる、当然答えなんかありゃしない。
それでも母には○○さんが泊まっていってくれっるって、よかったねと答える。

私は生まれて初めて水枕と会話をした。これで母は安心して眠った。

ここまで訳の分からない会話は結構気が楽で、今となればかえって懐かしいくらいである。が・・・

男共はこれを受け入れるのが難しいのか、はたまた受け入れたくないのか、一生懸命まともに受け答えをしようとしては外れていく会話にショックを受けていたようだ。怒ったって無駄さ、本人には見えたり聞こえたりしていたんだもの。

壊れていく母親を見たくないって・・・男は弱いのか?

現実は受け入れるしかないじゃん・・・女は強いのか?

いや、強いわけじゃないよ。

しなければいけないことを一つづつ片付ける日々に追われるだけさ。

逃げるわけにはいかないんだもの。

そして今、恐るべき回復を見せている母。

体重を戻す事の重要さを痛感したのか、持って行くものを文句も言わずに食べたり飲んだりしている。今の体重は35キロ、まだまだだよ、あと10キロ増やそう!

ん?ひげが生えたって?

分かったよ、今度行く時はかみそり持って行くから。

ん? そろそろ秋もののブラウス?

分かったよ、探してくる。

もうすぐ天高く馬肥ゆる秋

婆ちゃんも肥えますように。

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2008年8月 6日 (水)

今の母 8.6

前回の今の母 7.3から1ヶ月経って

何か変わったかと聞かれれば どうかなぁ。

回復はいたってゆっくりで、じゃあ回復していないのかと聞かれればちゃんと回復に向かっている(と思う)

要するにちょこちょこ行くから回復が目に見えないだけで数ヶ月ぶりの妹などは軽快に車椅子を操り、トイレも見守りさえあれば時間は掛かっても1人で出来るようになった母に驚いていた。

いいなぁ・・・たまに見ると感動ものでしょ。

下僕の身としてはこれがいつまで続くのかと・・・

いつだって頭の隅で「行かなくっちゃ」が渦巻いている

まぁ、愚痴ってみてもしょうがない、気を取り直して

今の母

上肢  腕の上がりは充分ではないが歳相応で問題なし

下肢  立っている事は問題なし、が・・・バランスを保って自立はま
     だ難しいようで
     ズボンの上げ下げには壁に頭をつけて寄りかかっている
     平行棒に掴まっての歩くリハビリ4往復は多いかもよ?

排泄  昼間の間オムツ脱出
     これは単に動けないから漫然と使っていただけで、
     意識の混乱がなくなった時点で尿意・便意ともに問題は無
     かった
     今は人手が少なくなる夜間だけオムツになっている

認知  全くなし。私よりずっと「おっされ~♪」な年寄りかも知れない
     ひげを剃れ、鼻毛を切れ、ハンドクリームを持って来い

朝着替えを済ませるとみんな一緒に食堂のテーブルで過ごす。テレビを見ていたり他のヒトと話をしたり。話といっても本当に会話が成立しているかどうか怪しいものだがなんとなく通じているらしい。洗濯の済んだタオルやエプロンを畳んだり、折り紙で手先のリハビリをしたり。平行棒での歩くリハビリをしたり。

定期的に医師の回診や歯科医の検診、お菓子の販売や移動喫茶店、幼稚園の園児達の訪問や色々なクラブ活動もあってその気になれば結構行事で忙しそうだ。

部屋に居て犬の鳴き声が聞こえるが見たことがないというので外に行き犬を探したら母の居る部屋の真下に黒ラブ君と柴犬君が居た。久しぶりに犬を見た母は嬉しそうだった。

私が物心ついてから犬や猫や鳥達、果ては拾った黒豚やコノハズク。猫にいたっては一時期13匹が居た事もあり、動物が居ない実家なんて想像も出来ないほど。

最後に残った犬を一昨年に看取り、ほっとした頃の発病だった。

「この子達が居るうちは元気で居ないと」が口癖だったなぁ・・・

7月1日から適用の要介護4、とりあえず一年後までは現状維持で過ごせるが、このまま回復すると一年後どんな状態になっているか。

もちろん、回復はありがたいことには違いないが1人暮らしが出来るまで回復できるか?

先のことは分からない、分からない事を今考えてもな~んにもならない。

考えまい、なるようになる!

そうそう、最近焼肉屋での食中毒が取りざたされていたカンピロバクター。

これもギラン・バレー症候群の原因菌の一つとされている。

それとサイトメガロウィルスというやつ。これは母の場合インフルエンザの予防接種から2週間後の発病なのでこちらが有力。検査で出てきた抗体もこちらだったっけ。

どちらにしても、そもそもギラン・バレー症候群は自己免疫が絡んでの発病なので誰のせいでもないけどね。

今回カンピロバクターで食中毒にかかった方達が、後になってGBSを発症しませんようにと、心から祈る。

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2008年7月 3日 (木)

今の母 7.3

寝かされたままの3ヵ月半の病院生活から介護施設に移り、早くも3ヶ月になろうとしている。

施設ではベッドは寝るところと言うことで、朝起きると着替えさせてデイルームで一日過ごす。おかげで廃用は順調に回復し、今は少し呼吸がしづらいくらいで他は随分と楽になったようだ。

車椅子を自分で扱ぐことにより背筋や腹筋も徐々に鍛えられているようで、椅子からバーに掴まって立つにも力強く立ち上がれるようになっている。今の状態を見るとリハビリ専門病院に転院になっていたとしてもそれはそれで何とかやってこられたのかも知れないとも思うが・・・

今は平行棒に掴まって歩く練習をしていて、2往復できたと喜んでいる。

車椅子からベッドに移る事は見守ってもらえれば出来るらしいが、起き上がってベッドから車椅子に移る事はまだ難しい。

昼間はみんなで洗濯の済んだエプロンを畳んだり、タオルを畳んだりしている。

そうそう、この前は折り紙を折っていた。

「忘れちゃっててさぁ」と言いながらも鶴と兜を折っていたっけ。体の負担にならない程度のこんな動作が母のリハビリには丁度いいのかも知れない。

隣のおばあちゃんは色紙を目の前に置いてなんだかクルクルくしゃくしゃしてた、あれは何ができたんだろうな~(笑)

2、3日前には1Fホールに出張喫茶店が来ていて、ケーキと紅茶をいただいたそうな、久しぶりのケーキは美味しかったらしい。

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2008年6月16日 (月)

今の母 6・16

回復はゆっくりで、頻繁に更新しても特に変化が見えてこないのでちょっと半月空けてみた。


左手を肩から上に上げる角度が小さいもののほとんど自由に動いている。


バーに掴まり足踏みをする。右足の足の裏もしっかり床に付くようになった(尖足は改善されつつある)し、平行棒に掴まって往復歩行が出来るようになっている。

発熱
リハビリをしても熱を出す事は随分と少なくなった。

食事
刻み食から普通のおかずになった(ご飯だけはまだおかゆにして貰っている)。自分で噛んで食べると食材の味がちゃんとすると言っている。

と言うことで、ゆっくりでは有るが着実に回復に向かっている。

しかし、動き始めれば動くためのエネルギーが必要なわけで、今までどおりの小食ではエネルギーは足りなくなってきている。今の体重はわずか27キロ、何とかして体重を増やす努力をしなければ。

もちろん1人で歩いて用が足せる様になるには、まだまだ長い期間が必要にはなるだろうけれど、まるで動かなかった頃からすれば驚きの回復な訳で、諦めていた自分の家に帰ることももしかしたら出来るようになるのかも知れない。もちろん1人では暮らせないけれど。

回復と加齢・・・どちらが勝つか。

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2008年5月28日 (水)

今の母 5.28

リウマチの持病があって、昨年末にギラン・バレー症候群に罹った78歳の母、発病から5ヶ月半が過ぎ、特養に入居してからも2ヶ月近くなる。病名にたどり着くのが遅く、ギラン・バレーとしての治療を受ける事も無く、また持病のために積極的なリハビリも出来ないままの5ヶ月半。

それでも今の母


右・握力7.5キロ 左・握力5キロ 不自由ながらも・食事・洗顔・歯磨き等自分で出来るようになっているし車椅子を自分で動かして移動するようになった。


右足の尖足はまだ元には戻らないものの、床から車椅子のステップには手を添えなくても足を乗せることが出来る。車椅子に座ったままで、もも上げ足踏みもする。左足で体重を支え立位を保てるようになった。
のみならず、最近は車椅子の肘掛に両手を突っ張り腰を浮かせる事が出来るようになっている。トイレ介助の時も車椅子からバーの前に移してやれば自分で掴まって立っていられるのでガードするこちらの力も随分と軽減された。トイレの介助は1人で楽勝!

もちろん万が一を考えて、誰もいなくて1人の時には絶対に試してみないようにと言いきかせてはある。これで転んで骨でも折ったら元の木阿弥だもの。

昨日、役所の介護認定更新の審査があった。 今度の認定はどのくらいで出てくるか・・・ 食事・自立  洗面・自立  排泄・自立  目、耳、言葉、意識・異常なし  問題行動・無し

強いて不自由を探せば  立てないし、裸で椅子に座って入る風呂は痩せていてお尻の骨が痛いから風呂は寝たまま。これだけだ。

良くて要介護3か?

そして・・・身の回りは

先ずは例のクッション、切り詰めてサイズを調整したものは今、背もたれになっている。

ばあちゃん、意味ないじゃん・・・まぁ本人が良けりゃそれでいいけど、切るんじゃなかったなぁ。

着るもの、半袖は要らないそうだ。施設の中は空調してあるので半袖を着るほど暑くはないらしい。 という事で夏物の薄手の長袖Tシャツかブラウスを買って来いと。それと、薄手のズボンも買って来いと。ズボンはウエストがオムツできついからLサイズにしてくれと。

はいはい、分かりました。何でも買ってきますよ~

ん?実家から歯磨き粉を持ってこい?  はいは~い!

あ~あ・・・

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2008年5月 9日 (金)

??の受診

7日に言われた神経内科の受診、いつでも良いと言われていたし自分の体調もイマイチだし来週にしようかと思っていたところに朝一番で施設から電話があった。

昨夜からまた熱を出しているとの事。内科の受診をしてくるようにと。

それなら神経内科も一度で済ませようと予約をしに飛び出した。

病院に着いて9時半、窓口で予約しようと思ったら午後の予約の受付は11時半から。

あらら・・・だって朝一で行けって言われてきたんだもの。ここで2時間待つのは嫌だわ。

そこはおばちゃん頑張る!

なんとか受け付けて貰った予約の時間は午後3時、それまで病院にいるのももっと嫌だわ、しょうがない一度家に帰る。この往復だけで一時間半。

早めに行って受付をしなければならないので1時45分にまた家を出る。

3時少し前、施設の車に乗せられて母が到着。施設の車は母を置いて施設に戻る。

先ず予約の入っている神経内科受診。   が・・・医師は何で来たのかと聞く。

私「ギラン・バレーということで、一度嘱託病院の神経内科の先生に診てもらうように言われました」

医師「そうですか、ギラン・バレーは4ヶ月以上経っていれば治療は無いですし、特にすることも無いんですよ。それにここまで回復してくれば問題は無いでしょう」と。     

分かってるさ、でもまぁ素直にはいと返事をしておく。

あちこちコンコンと腱反射を見たり握力の検査をしたり押したり引いたりの検査をしながらほとんど世間話のような話をして終わった。 驚いた事に握力は右手が7.5キロ、左手が5キロまで回復していた。

何か心配があればいつでも来てくださいと言ってくれた。

優しい先生でよかった。

この後、発熱で内科を受診したい旨伝えてカルテを内科に回してもらう。

内科の診察室前で待つこと40分後ようやく呼ばれて開口一番、医師いわく。

医師「ギラン・バレーで神経内科を受診して欲しいと施設に伝えたんじゃないんですよ、便潜血が出ていたので一度大腸の検査をしたほうが良いと思って来て頂いたんです」

私「あら、熱が出たので内科も受診して欲しいって今朝電話を貰ったんですけど」

医師「連絡表には発熱って書いてありますけど、そうじゃなくて大腸検査をしたかったんですよ、鉄剤の処方もしているんですが貧血が改善されないのでそれもありましてね」と。

大学病院に入院していた頃、消化器系の腫瘍マーカーの値が高いと言われていたがその頃の状態は検査に耐えられないだろうという事で検査しなかった旨を話す。

2~3日入院して、負担の少ないようにするから検査をしてみないかと言う。 母を見れば相当に嫌そうだ。 あれやこれや理由をつけて何とか免れようとしているのが見え見え。

先生、根負けしたのか来週MRI検査をする事で落ち着いた。(あ~、また付き添いだ。半日パーだなぁ・・・)

でもさぁ、検査をしたところで後はどうする?

もしも何か見つかったところで後はどうする?

やっと車椅子で少しづつ動けるようになったばかりで、万が一ここで手術になんかなっったらまた寝たきりになって今度こそ動けなくなる。それより手術に耐えるだけの体力が今の母にあるとは思えない。

命の重さとQOLの兼ね合いをどうつけるか・・・

高齢者の病気を見つけることが良い事かどうか・・・

あ~あ・・・  また考えなくっちゃならない事が出来てきた。

私が考えても何にもならないんだけど。

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2008年5月 1日 (木)

廃用症候群 その3

少しづつ、本当に少しづつ回復に向かっている。

四肢の麻痺、多分ほとんど無い。  じゃあ動くかと言えば動く。  それなら自由かと言えば動く事と用が足せると言う事は別問題で・・・


右手は問題なく動く、左はまだ上には上がらない。 これは左肩の関節のせいで神経的には問題は無さそうだ。
握力はそれぞれに戻りつつあってゼリー飲料の小さなキャップを開けることもするが、ペットボトルのキャップはまだ開かないらしい。


バーに掴まって数秒の立位が保てるようになったが、床に着くのは左足のみ。
右足は足首の角度が足らず床に付く事は出来ない。尖足を修正するのは容易なことではなさそうだ。しかし、車椅子のステップには手を添えなくても足を乗せることが出来るようになった。

呼吸
呼吸筋の回復はまだ充分ではないらしく、まだ胸に針金が巻きついているような感覚は残っていると言っている。
いつ行ってみても周りの人と会話するでもなくボーっとしてテレビを見ているので、なかなか元通りにはなれない。

発熱
相変わらず微熱は出るらしいが、心配のある熱ではないので様子を見ながら放置。

その他はほとんど問題は無さそうである。

そして、車椅子用にと買ったノープレッシャークッションは、どうやら母の体型には合わないようだ。
前後の長さが長すぎて浅くしか座れないために骨盤を収めるポケットに骨盤が収まらない。浅く座って背もたれにどっぷりと寄りかかっているためにパンダ座りでお腹が押され、食べられないと言う。
骨盤をポケットに収めようと後ろに体を下げると膝の後ろがつかえてしまう。そしてポケットの縁がお尻に当たって痛いと言う。ここも何か考えないといけないか。
前後の長さを少し切り落としてポケットの縁にはあたりのやわらかいものを入れるといいかもしれない。  ん?  待てよ、そうすると背もたれとの間があきすぎて何か入れないとだめか?

小さい人用の小さい車椅子ってあるのかなぁ・・・子供用は見たことがあるけどさすがに子供用じゃ小さいか。

まぁ、何を買ったところでしばらくするとまた何か問題が出てくるのでもう少し様子を見てからにしておこう。

ということでクッションを修正しようと持って帰ってきた。 前後の長さを短く切り落とし低反発の素材で出来たクッションを上に重ねてポケットの部分より小さく切り取り、角が当たらないようにしてみたが、これとてまた何を言い出すかは分からない。 座っている時間が長くなればお尻が痛いのは慣れてもらうしかないだろう。

何よりも婆ちゃん、ご飯食べてくれ!  食べて肉を付けてくれ!

あれを持って来い、これを持って来い。そして2~3日でやっぱり邪魔だから持って帰れはやめてくれ。

役所から介護保険の継続審査の申請用紙が来た。 さ~て、今度の認定はいくつで出るか。

乞うご期待!・・・・・怖いよ~

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2008年4月22日 (火)

リハビリ

19日、特養入所から半月経って落ち着きつつあるからとリハビリが始まった。

手足の関節は左肩と右足首を除いてまあまあらしい。

後ろから体重をしっかり支えられながら平行棒に掴まって2m歩けたと喜んでいた。

車椅子も車輪の付いたものに変えてもらって自分で動く練習をするようにと言われたらしい。

が・・・

夜、また熱を出した。 そしてその夜ベッドから落ちた。

20日に行ったらおでこにシップ薬を貼っていた、どうしたのかと聞いたら昨夜ベッドから落ちたとの事。

「何で落ちたの」

「いやぁ、ピンポン(ナースコール)がどこかに行っちゃってさぁ、探そうとベッドの下のほうに手を伸ばしてごそごそしてたらズルッと落ちたんだよ。」

「何でピンポン探してたの」

「昼間騒いでるおばあちゃんが部屋に入ってきて車椅子を持って行っちゃったから、明日困ると思ってさぁ」

「夜の間は使わないんだからいいじゃん、朝になったら持って来てくれるでしょ、それでどうしたの」

「自分では戻れないから必死に這って隣のベッドまで行って隣の人を起こしてピンポンしてもらったよ、這うのもたいへんだったよ」

そんな事をしてるから熱が出ちゃうんだよ、今困ってないピンポンは探さなくていいんじゃないかい? また病院にいるときみたいにピンポン握り締めて寝ているんだろうか。婆ちゃん、夜は寝てくれ。

と言う事で今日は朝から呼び出しをくって病院に行ってきた。

病院の待ち合わせは10時半、一足先に行って受付を済ませようとしたら今日は整形外科の手術が入っているので受付は10時で終了したとか。事情を話し無理やり受けて貰って母の到着を待つ。 程なく施設の車で連れてきてもらった母を連れて病院内をウロウロ。施設の車は母を置いて一度帰る。それから先ず診察、そしてレントゲン撮影。レントゲンの待ち時間も文句たらたら、どうしてこんなに時間がかかるんだろうって・・・

婆ちゃん、あんたは洋服脱ぐにももっと時間がかかるよ。婆ちゃん中心に世の中が動いてるわけじゃないからね。

結局は骨折も無くシップ薬を貰っておしまい。 この間3時間。

迎えに来てくれた施設の車に乗せようと思ったら、車椅子のクッションを裏返せと言い出した。運転手のお兄さんと二人で言われるままにクッションを裏返したり前後を入れ替えたりあーせいこーせいとうるさい事この上ない。

診察を待つ間も、エアーシーツがごそごそするだの、夜寒いだの暑いだのとひたすら訴える。じゃあエアーシーツが嫌なら外して貰えばいいと言えば、別に嫌なわけじゃないと。

何が言いたいんだろう? 婆ちゃん諦めて受け入れな!

今の自分を受け入れないと毎日が不平不満で埋まっちゃうでしょ!

なんだか、だんだん優しくなくなっていく自分がいる。

変だなぁ・・・私は言葉はきついけど優しい筈なんだよ。

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2008年4月 5日 (土)

不思議なギラン・バレー

4/5 23:20  追記あり

12月16日に(正確には多分その2~3日前のようだが)発症して一週間後には全身麻痺で呼吸器を云々された母。 病名が付かず、従ってギラン・バレーとしての治療をすることも無く訳が分からないまま回復に向かった。

一時的にはもう動く事は無いのかと思われた手足は今少しづつ動き始めている。

この病気の回復は最後に症状が出たところから回復し始め、最初に出たところが最後まで残るらしい。

足→手→嚥下→首→呼吸の順で進んだ麻痺は、本当に呼吸→首→嚥下→手の順で回復に向かい、現在は足の感覚が大分戻ってきているようだ。

戻ってきているとは言っても高齢の母の事、衰えてしまった筋肉はまだまだ自分で何かが出来るような状態にはならない。

首     問題なし

嚥下    問題なし

手     右は問題無し   左は上には上がらないが動く

握力    右2キロ位     左1キロあるかどうか

足     左体重を支える(ただし動かさずにいれば。動くと崩れる)

       右尖足のため床に付けるのは難しい

座位    左足が床に付けば背もたれが無くても可

立位    掴まって左足だけで数秒は可

やはり車椅子からは脱却できそうに無いが、まだ発症から4ヶ月にならないでこの回復は歳の割にはいいほうか。

関節リウマチの持病が無く、もう少し体力があってリハビリをしっかり受ける事が出来ればもっと早く回復も出来るのかもしれないが・・・。

ここ10日ほどの間は熱が続くのでリハビリを中止しているが、それでも少しづつ回復に向かっているのだから、食べるものをちゃんと食べ、体力を付けて自分でコツコツ動かす努力をしているうちにはもう少し動けるようになるのかもしれない。

本人は施設に行けばベッドに寝たきりではなく、昼間はみんなのいるところで生活するようになるので自然ともっと動けるようになると思っている。

時間は掛かるかも知れないが、痛くて辛いリハビリではなく日常の生活の中で少しづつ回復していけばそれはそれでいいのかもしれない。

誰かに動かして貰う百回より自分で動かす一回が大切と言う。

それなら動かされて痛い百回より動かしたい一回の方が大切か。

退院まであと2日、1度目は発熱で延び2度目は先様の都合で延び今度こそ3度目の正直になるか。

こんなときだけ神頼み、今度こそ退院できますように(祈)

ここから追記

夕方食事の介助に病院へ行く。

また発熱38.2度、どうしてなんだろう。

また退院は延期か?  明日は下がりますように。

こんなときだけの神頼みはやっぱり虫がいいのか?

そうだ、アンパンマンを呼ぼう!

ア~ンパ~ンマ~~ン! 

って・・・   あ~ぁ・・・・・

  

      

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2008年3月 4日 (火)

真面目な回答

まだ母が大学病院に入院していた頃のこと。

家に帰りたいと泣かれたとき、何とか気持ちを落ち着かせたくて本人の前で医師に問いかけてみた事がある。

ギラン・バレー症候群のひろばでたくさんの闘病記を読んで、母の場合はまだ軽い方だと判断し、若くてももっと重い人もいてみんな頑張って回復していることを母に知って欲しいと思ったから。

医師に 「母の状態は、この病気にしては軽い方ですよね」と 聞いた私に医師の答えは以下の通り。

「この病気は一応10万人に1人から2人と言われていますが、それは病院で診断された人の人数であって、中には数日間ふらついて何か変だと思いながらも回復してしまったために気づかないまま完治した人も多分たくさん居ると思います。 そう言う人がどのくらい居るのかは全く分かりません。 そういう風に何もしないで治ってしまった人から、手を尽くしても重い障害が残ってしまった人までを考えると、お母さんの場合は中間だと思います」と

とことん真面目な答えが返ってきた。 振り返って母を見ると・・・

ほ~ら、あんたが言うほど軽くないでしょ。私の辛さはあんたには分からないのよ。痛いのは私、辛いのも私。  もう嫌なんだから!

みたいな顔をしていた。あ~・・・しまった!先生頼むよ~(笑)  

ちょっと慌てた。

分かってるよ、分かってるんだけど、痛いのも辛いのも代わってはあげられないんだよ。何でこんな病気になっちゃったんだろうって泣かれても、分からないんだから受け入れるしかないじゃない 受け入れないと次の一歩が踏み出せないよ

そこで 

「でも、結果として何の治療もしないまま人工呼吸器は付けないで回復に向かったし、右手はスプーンをもてるようになったしね」と言ってみたところで頑固者の母、納得はしていないようだった。

今、1週間のリハビリの結果で出来るようになったことは・・・なんだろう あるかなぁ。

神経的には随分回復してきたのだと思う、 が・・・

廃用による筋肉の衰えは簡単に取り戻す事はできない。

本人のやる気が見られなければなおさらのこと。

78歳のばあちゃんに痛みを我慢して頑張れというのは酷なんだろうか。

頑張っても元には戻れないかもしれない頑張りをさせるのは無理なんだろうか。

「ひとに動かしてもらう100回より自分で動かす1回が大切なんだって」

といってみたところで、本人は無視して目をつぶり口を結んで貝になる。

しばらくしてから返ってきた一言

「馬の耳に念仏・かえるの面になんとやらだよ」

あ~~~~~~っ もうっwobbly

じゃあ泣くなっsign03

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2008年2月29日 (金)

廃用 その後

バトルに気を取られて肝心なことを書き忘れていた。

その後の母

何とか右手一本で食事を出来るまで回復したところまででHPは終わっているが、2月初めから転院した2月22日までの2週間の間に少しづつではあるが動き始めた。

が・・・

動き始めたとは言ってもモソモソとし始めただけで力は全く入らない。

ベッドを起こし、目の前にテーブルをセットしてスプーンを置いてやれば右手だけでかろうじて食事をする事が出来る。しかし、食べる量は二分の一の量のご飯を半分食べれば良いほうで、その上「魚は食べない」「野菜は食べない」とわがままの言い放題。これじゃあ回復なんて出来るはずも無い。

腎機能の低下や肺の影などの気になる所見も出てきて全体的には後退傾向。廃用はじわじわと進んでいるようだ。特に足、足首の尖足傾向は少しづつ進む。

車椅子に移してもらって一日のうち3時間ほどを起きて過ごすようになったものの、トイレはもちろん全介助で二人がかり。寝返りもうてない。

この時期、家に帰りたいとゴネた。帰ってどうするつもりかと尋ねたら

「自分の持っているお金を全部使ってもいいから家政婦さんを頼んで生活する」と言う。そんな事は出来るはずも無い。

食事の介助に一時間のサービスを受ければ時間給は3000円以上との事。それが24時間誰かが居なければならないとしたら一体いくらかかるか。介護保険を全部使っても一日あたり4時間足らずにしかならないわけで、それでは入浴サービスもデイケアも利用はできない。なにより、そのほかの時間をどうするって・・・

母とは歳の差19年の自分自身だって還暦間近、2時間おきの体位変換やトイレの介助。いくら親でも一人で背負うには重過ぎる。

その後、以前居た病院に出戻りで転院が決まったらご機嫌はなおった。どうやら検査が嫌だったようだangry

今の母

転院から数日後、リハビリを開始、毎日30分程のリハビリを続けているが夕方になると微熱が出る。(この2ヶ月間、微熱は続いていたが検査的に異常は無いとのこと、原因は分からない)

リハビリ科の医師には自分のベッドに戻っても足や手を動かす練習をするようにと言われているが、当人にやる気が無いのかあれこれ理由を付けて、まったりと寝たままで居る。そりゃあね寝たままでナースコールをピンポ~ンと押せばお姉さんやお兄さんが飛んできてくれて言えばなんでもしてくれるけど、それではいつまで経っても自分で出来るようにはならないよ。なだめて煽てて励まして、世話を焼いているうちに妙に依存心が強くなった。これはあまり良い傾向ではない、すこしづつ距離を置かないと。

もっとも、大学病院の医師には転院の時に

「この先は非常に辛いリハビリになりますが、頑張ってリハビリしてください。ただ、その辛さを乗り越えても完全に前のように戻れるかどうかはとっても難しいです。この先ご自分がどう暮らしていくのかをゆっくり考えていってください」と言われている。

78歳でもともと体重36キロの体には若い人のような自己回復力も無いかもしれないし、頑張る気力も無いのかもしれない。転院から一週間、医師から近々ソーシャルワーカーさんを交えて話しましょうと言う申し出があった。どうなることやら・・・

前出の施設申し込みに必要な医師の意見書の件、役所からの連絡はまだ無い。

と、ここで役所から封書が届いた。来たかsign01と開けてみると、入っていたのはこれ。

Img1162_2

在宅福祉サービス継続申請の現況届(20年度)

オムツの利用券も移送費の請求用紙もまだ届いていないのに来年度の申請をしろってかsign02

役所の仕事って・・・   

早いのか遅いのか

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