カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の17件の記事

2009年9月15日 (火)

2年越しの約束

前回母と墓参りに行ったのはちょうど2年前の秋のお彼岸。

それから2ヵ月後、母はギラン・バレー症候群を発症し動けなくなった。

あれから2年、彼岸の墓参りはいつも1人だったが13日の日曜日、彼岸には少し早い墓参りに母を連れて行ってきた。

新宿まで往復3時間、夕食を済ませて施設に送り届けるまで6時間。

施設では長時間のドライブには難色を示していたので、我が家で気分転換をさせて夕食をさせると言って連れ出した。

新宿の墓参りは近所で慣れてからにしたらどうかと言われていた。しかし、時が流れていけばもっと元気になれるかどうか。この先いつになったら連れて行かれるのか、明日は誰にも分からない。

多少の不安はあったものの、今 行かれるうちに行って来てしまえば行っちゃったもの勝ち。

今回は相方と姪っ子が同行してくれたので駐車場の玉砂利や墓までの狭い石畳を何とかクリアできたが、私1人で母を連れて行くのはやはり無理かも知れない。来年も同行者を確保せねば・・・

そして、念願の刺身と天ぷらをやっと食べさせる事が出来た。

刺身・天ぷら・茶碗蒸し・・・2年ぶりの外食。ご飯は半分残したものの他は完食である。

入院していた頃「病院の食事は人間の食べるものじゃない」と言い放った母。

人間の食事って何さ と聞いた私に 刺身と天ぷらと答えた母。

施設暮らしの毎日で「あのとき死んでりゃよかった」と時々つぶやく母。

2年ぶりの刺身と天ぷらは ことのほか美味しかったらしい。

どうよ婆ちゃん、生きててよかったでしょ。

昨日今日は、施設から熱を出したという連絡がきやしないかと ちょっとドキドキだったが 今もって電話がかかってこないところを見ると どうやら無事でいるようだ。

しておきたい事は出来るうちに・・・

やっちゃったもの勝ちだもんね・・・

そうつぶやきながらも こちらの寿命が縮む気がする。

 

| | コメント (2)

2009年9月 2日 (水)

ウェルキャブGET

1年越しで探していた福祉車両、やっと手に入りそうだ。

VOXYのウェルキャブ  7人乗り セカンドシートが電動で外を向いて下りてくる。

当初の希望は助手席が動く8人乗りだったのだが、今回見逃すと次はいつ出てくるか分からない、7人乗りで手を打つことにした。

年式も希望よりかなり新しく価格も予算の倍近いが、今必要なのだから まぁしょうがない。

これで約束の美味しい刺身と天ぷらを食べに連れて行かれそうだ。

しかし・・・

最近母は施設に居るのが飽きたと言う。

一日テレビを観てるだけではつまらないと言う。

かみ合わない会話が気に入らないと言う。

じゃあどうしろと?

確かに体の自由が利かないだけで認知症状の無い母には施設の暮らしは楽しくは無いのかも知れないが かといって1人暮らしをしていた身 今の状態で家に帰るわけにはいかないのである。

それはご当人も充分理解はしているが、それでも家に帰りたいのだ。

気持ちは分からないではないが 帰るとなれば考えなければならない事が山積で。

なによりも家

玄関の前に車を付ければ電動シートを下ろして車椅子に移乗させるだけの幅は無い

玄関前の石段にスロープをつけたら車が入るだけの幅が無い

玄関内も車椅子を乗り入れるだけの広さはないし上がり框の段差は超えられない

古い平屋で真ん中の廊下を挟んで両側はしっかり独立した部屋、それも襖と障子とドアでは手すりを付けられない 

廊下の幅は三尺(約90センチ弱)なおかつ廊下と部屋の境は段差がある 当然車椅子で直線移動は出来ても各部屋に出入りは出来ない

トイレは奥まっていて車椅子で入れない

ずっと昔の家屋のように隣の部屋との仕切りが襖だったら外してしまえば広い空間も作れただろうが、戦後の高度成長期に立てた中途半端な現代家屋 各部屋の独立性は保たれたものの母1人で生活するようになったら不便な事この上ない。

暖房も冷房も他の部屋まで行き届かないし 部屋を移動するにも戸をあけて廊下に出て戸を閉めて、部屋の戸を開けて部屋に入り戸を閉める(どこの家でもそうだと言われればその通りなのだが 笑)

母が倒れた頃、部屋のテーブルの上にはありとあらゆるものが運び込まれ並べられていた。

理由を聞くと、何か一つ取りに行くたび、または置きに行くたびに 開けて閉めて開けて閉めて、また開けて閉めて開けて閉めて・・・寒いときには部屋の温度差が辛いからと。

リウマチ持ちの高齢者の1人暮らし、まだまだ大丈夫だと思い込んでいたがやはり辛かったようだ。

今、家に戻って生活する事は出来ないが 昼間短い時間でも家で過ごす事が出来るようにしてやりたいと考えてはいるがそうするには家の改造が必要なのである。

だが・・・

施設で車の入れ替えの件を話し、今度の車なら新宿まで父の墓参りに連れ出しても良いかと聞いてみた。往復の時間を聞かれ、多分帰りに昼を食べて戻るまで4時間程だと思うと答えると、腕組みして考え込まれてしまった。しばらくして帰ってきた返事は「その時の体調次第ですね。当分のあいだは近所で食事くらいの所から始めてはどうでしょうねぇ」と。

そうか、やっぱりこちらが考えるほど回復してるわけじゃないのか。

でも、「動けるうちに」とか「帰れるうちに」とかの境目は何時なんだろう?

時が経ったら動けるか?

時が経ったら行かれるか?

時が経ったら帰れるか?

年寄りの元気ってどこまでが元気だ?

万が一、行ってきて体調を崩しても今行かれるうちに行った方が良くは無いか?

年寄りだけじゃない、若くたって明日は分からない・・・

車GETでほっとして書き始めたのになんだか暗くなってきた。

来年の春の彼岸には親父の墓参りに母も行かれますように(願)

| | コメント (2)

2009年7月25日 (土)

今の母 7・25

5月上旬に39キロまで落ち込んだ体重は、高カロリー飲料の持込で40.7キロまで回復した

とりあえず やれやれである

所内の移動には 歩行器を使ったり車椅子を押しながら歩いたりで、歩く距離を伸ばしているようだ

手首の変形が無ければ 杖での歩行も出来そうだが、なにぶんリウマチで手首に負担はかけられないので車椅子が必須 それでも身の回りのことが自分で出来るようになったのはありがたい

といったところで6月に持ち込んだ夏用の靴、今は履いていない(やっぱり・・・)

エアコンが入ったら足元が涼しいので厚い靴下を履いたらきついと

ばあちゃん・・・  じゃあ夏用の靴は要らないんじゃん?

まぁいいけどさ、そんなことだと思ってた

役所から後期高齢者健康保険被保険者証が届いた

8月1日から新しい物を使うようにと

一緒に入ってきた印刷物には古いものを紺色、新しいものを紫色と色で区別するような内容の文章が書いてある

色?!  紺色?  紫色?

母が倒れてから書類の管理は私がしているが、今までの保険証で色を感じたことは無かった

中の文章は以下の通り

現在お使いの「紺色の被保険者証」につきましては、被保険者証記載の有効期限どおり、本年(平成21年)7月31日をもって、使用できなくなります。つきましては、有効期限が『平成22年7月31日』と記載されております新しい「紫色の被保険者証」をお送りいたしますので、平成21年8月1日以降は、この新しい「紫色の被保険者証」をご使用くださるようお願いいたします。なお、現在ご使用の紺色の被保険者証につきましては、平成21年8月1日以降はご使用できませんので、お住まいの市町村の長寿医療(後期高齢者医療)担当窓口へお返しくださるようお願いいたします。

以上 原文のまま

そして 紺色と紫色

Dscn2497

言われてみれば 紺色っぽいものと紫色っぽいもの・・・

文字を書くにはベースは薄い色でないといけないのだろうが、この色の差 見難くは無いか?

文字は少し大きくなったようだが、色分けするより有効期限の文字をもっとおおきく書いた方が分かりやすくはないか ?

| | コメント (0)

2009年7月 2日 (木)

車・・・

変わりない毎日の中で 今考えている事

といっても たいそうな事を考えてるわけでもない。

先日 母は施設の車に乗せてもらってスーパーに買い物に行った。

久々に出かけられたことがとても嬉しかったらしく ご機嫌麗しい。

自分で選んで欲しいものを買う、この当たり前の行動が施設暮らしの身には簡単では無いのである。

昨年春 施設入所になった頃に 車椅子で外出できるようになったら 美味しい天ぷらと刺身を食べに連れて行くという約束をしていた。

これが目の前にぶら下げたニンジンでもあった。

これを励みにリハビリをがんばって かろうじて歩けるようにもなった。

しかし・・・

私の車(1BOX)はステップが高くて乗せられそうに無いのである。

昨日、施設で車の乗り降りについて聞いてみたら、母の場合 やはり一人での介助は難しいとのこと、介助は2人いないと万が一の時2人で転倒する危険があると。

言われてみればその通り、介助する私だって傍から見れば婆ちゃんである。

やはり私の車を替えるしかないのか。

かなり前から我が家ではこの話が出ていた。

私の車もそろそろ買い替えの時期でもあるし 今度は介護仕様車をと思ってもいた。

私としては軽の介護仕様車が一番なのだが、孫や娘が来る事を考えると8人乗りの1BOXを無くすわけにはいかず、相方の通勤用の軽ターボ車は絶対手放さないと言う。

さりとて免許証2つに車3台は、税金・保険・駐車場料金を考えればそんな余裕が有るわけも無い。

車椅子がそのまま乗せられるような介護用の1BOX車もあるが、車椅子を乗せると搭乗人数が減る。これはこれで不都合なのである。

それではと1BOXの助手席が介護用に電動で動くように改造された車を探そうと言う事になった。

新車なんて買うことは出来ないので もちろん中古車。

幸いにも相方の仕事の関係で、出てきたら連絡をもらえることになってはいるが・・・

セダンなら結構出てくるらしいが こちらの条件の8人乗りは譲れない。

さて、いつになるやら。

| | コメント (2)

2009年6月13日 (土)

要介護4

昨年6月に要介護4の認定を受けてから一年

今回の介護認定の結果が出た

今回も要介護4

この一年でかなり回復したと思っていた

今回は介護度が落ちると思っていた

しかし結果は変わらずだった

自分でできる事が少しづつ増えて、母も我々家族も回復を疑ってはいなかった

が・・・

やはり医師や介護職から見れば日常の介護はそれなりに必要だということか

たまに行って数時間話しをするだけだと見えてこない実際の介護

ベッドから車椅子への移乗は出来ない

普通の風呂には入れない

見守りの無い歩行は出来ない

床に座った状態からは立ち上がれない

指の痺れが残っているので握力は強くない

リウマチは一進一退で少しづつ下降気味

膝関節の勾縮は残ったままで回復は難しい

ギラン・バレー症候群のピークの時には身動き一つ出来ないで人工呼吸器云々まで落ち込み 約3ヶ月間寝たきりだったためにその頃の記憶があまりにも強すぎて

今、自分で顔を洗い、身支度を整え、並べられた食事を人の手を借りなくても食べられ、時には他の入居者の世話を焼くほどになったことを喜んでいた

このペースで回復していけば いつか近い将来 介護度が軽くなって家に帰ることも出来るかと思っていた

しかし、高齢者の筋力の回復はかなり難しいようで

一歩引いて冷静に考えればやはり全体的には下降の一途

そんな中

今日、母がご飯を今までのお粥からご飯に変えてもらったという

それで摂取カロリーが80キロカロリー増えるからと

私「そうだね、内臓には問題無いんだから良くかんで食べれば問題ないよ」と答える

母「私の手相は長生きの手相だから」と言う

そこで一言

私「長生きは嬉しいけど金さん銀さん程は生きないでね、私85過ぎて車で通ってくる自信は無いからね」と なんとも親不孝な言葉を吐く

自分自身の老後が妙に現実味を帯びてきた今、冗談ではなく高齢者の長生きをしみじみ考える

団塊の世代、還暦・定年が秒読みで迫っている

どうする?

考えまい  明日は明日の風が吹く

きっと なるようになる!

| | コメント (0)

2009年6月 9日 (火)

初夏の陽気で靴探し

6月に入り天気はイマイチはっきりしないものの すっかり初夏の陽気

施設に居る母は、空調で温度管理された中に居ても暑いらしい

特に靴

靴の中が暑いから夏用の靴を探して来いと・・・

介護用の夏の靴か

条件1 はき込みの浅いもの

条件2 底がしっかりと固いもの

条件3 滑りにくいもの

条件4 甲高なので調節が出来るもの

条件5 年寄り臭く無いもの

え~~~~?! 年寄りなのに?

と言うことで あちこち探すも なにせ介護用の靴、どれを見てもしっかりくるぶしまで固定されるタイプが多く 暑そうである

以前、布で出来た室内履きのような靴を履かせたら、足の裏がフカフカして歩きにくいからと却下された

かと言って 上履きのようなバレーシューズは甲のゴム調節が出来ないから嫌だし、スニーカーは一人で履くことが出来ないから駄目だと言う

仕方が無い ネットでひたすら検索するも やはり介護用となれば同じような物が多く・・・

そんな中ここで見つけた ナース用の靴

Dscn2307

・はき込みは浅い・甲の調節はゴムとベリベリで調節が出来る

・底は固い・滑りにくい  条件4つはクリアーである

靴底には空気の通り道が作られていて、靴の中に熱気がこもらないように設計されている    

ただし、色物は無くて ほとんどが白を基調として淡い色がアクセント程度に配されている

雨の日に外を歩くのは無理なようだが そんな事はしないのでこれでよかろう(多分 笑)

年寄り臭くないかと言われれば年寄り臭くは無い

が・・・

婆ちゃんに似合うかと言われれば それは・・・

どうだろう ~?

何はともあれ 今のところこれで一つ解決した

そんな中 会話の途中で

「いつ頃うちに帰れるかねぇ、ここで死ぬまでなんて無いよねぇ」と言う

なんと返事したら良いものやら返事に困る

先のことは誰にも分からないもの

「とりあえず、家の中で一人で歩いて不自由の無いようにならないとね」と言葉を濁してごまかす

そろそろ今回の認定審査の結果が出る頃か

母も不安だろうが 周りの人間も不安である

| | コメント (2)

2009年5月25日 (月)

今の母 5・25テーマ混在

2月に書いたきりになっていた今の母 回復はいたって緩やか

ギラン・バレーの後遺症は 少しづつ、本当に少しづつ回復している

が・・・

3月始めには体重40.5キロとなり、このまま増えていくと足に負担がかかってもいけないと高カロリー飲料の持込を一時ストップした

発病前は34キロ、一時は27キロまで落ちたのだから40キロあれば御の字で、ただでさえリハビリで足に負担がかかるのにあまり体重を増やしてもいけないかと

しかし・・・

4月の体重測定で40キロを下回った

施設の食事、一日熱量は1200キロカロリーだそうだが やっぱり施設の食事だけでは足りないか

と言うより、食事を見てると「辛いと食べられない」「これは好きじゃない」と残す

私が見ていてもそうなのだから、見ていなければもっと怪しい

母の場合、体重を増やすために何を食べてもいい事になっている

同じものを食べてるのにふくよかな人もいる

そんな中 2月の半ばにあった健康診断の結果がやっと手元に来た

血液検査の42項目(すごっ 笑) プラス胸部レントゲン

まぁいくつか数値が基準を外れたものはあるものの、どれも大学病院にいたころから指摘されていたものだし 特に大きく外れているわけでもないし

一応「要精検・胸部CT」とはなっているが本人が乗り気でない以上無理やり検査も出来ないし・・・

回復の速度よりリウマチや老化の速度の方が速いようで・・・

手首の変形は進み傾向

少しの作業で炎症を起こすし首の痛みは相変わらずらしい

そして今月初め 体重は39キロを割りそうである

やはり施設の食事(1200kcal/一日)だけでは体重の維持は難しいらしくまた高カロリー食を運んでいる

相変わらずのこれキューピー ジャネフケア

Rscn2178

今回は前回の6種類にヒアロケア4種類を追加して10種類購入

かぼちゃスープを飲んでみた

この中では見た目も食感(飲み心地)も一番違和感が無いかも知れない

1週間分づつ運んでいるが少しづつ余ってくる

ばあちゃん、飲んでないね・・・

一緒に持ち込んでる高カロリーフードもあまり減ってないし

まぁ これは本人が飲まなければ それはそれで仕方が無い(と思うしかない)

施設利用料金

介護保険の改正で施設利用料金が少し値上がりするようで 契約書の書き換えをした

値上がりは一日あたり38円~40円だそうだが1ヶ月にしても1200円前後

この金額では介護職のみなさんの待遇が良くなるとも思えないが・・・

介護認定更新審査

6月末で有効期間が切れるので、更新の調査があった(らしい 笑)

入所時が要介護5、その2ヶ月後が要介護4

あれから一年 今回の調査ではどんな数字が出てくるか

下がった場合は、一定期間 以前の介護度を適用する事が出来るとある

そういえば 更新審査の申請書といっしょに来た用紙に不思議な項目があった

今回の審査について「希望するものを選べ」とあり

・前回から介護度が下がった場合 前回と同じ介護度を希望するかしないか

・前回から介護度が上がった場合 前回と同じ介護度を希望するかしないか

・前回から上がっても下がっても前回と同じ介護度を希望するするかしないか

何じゃこりゃ~  希望すれば変わるのか? それとも単なる意識調査か?

介護度が上がる=施設利用者は負担金が増えるが在宅介護では使える介護サービスが増える

介護度が下がる=施設利用者は負担金が減るが在宅介護では使える介護サービスが減る

補助金や助成金との兼ね合いもあることだし 上がった方が良いのか下がった方が良いのか 簡単には答えが出ない

要介護5または要介護4と要介護3との差は補助金の有無くらいで 深刻な差は出てこないが

要介護1と要支援2との差は大き過ぎるほど大きい

この春の介護保険制度 改正なのか改悪なのか

役所のすることは どうも解らない

新型インフルエンザ

これのおかげで 今、面会に行っても母の部屋までたどり着けない

受付で声をかけると下のロビーまで連れてきてくれる

だけど・・・

これ、どこまで有効なんだろう?

本当に防ぐのだったら全入居者面会謝絶だろうになぁ・・・(^-^)

| | コメント (0)

2009年4月 3日 (金)

委任状

昨年末から気になっていながらも、なかなか行く気になれず一日伸ばしにしていた郵便局に確認しに行ってきた。

今すぐの必要はまったく無いし母からもそんなことを指示されていないが、いつか必ずやってくるその日のためにあまり面倒なら早く動かねばならないから。

まぁ他に自分の用事もあったし・・・

まず自分の用事を済ませ、そのまま窓口で通帳を2通出し聞いてみる。

私「この定額をこちらの普通預金の通帳に入れるにはどうしたらいいですか?」

郵「え~と、ご本人さまですか?」今自分の用事を済ませたでしょ、名前が違うでしょ。)

私「違います、実家の母の通帳ですが」

郵「そうですか、定額を解約して普通預金に入金と言うのは現金の払戻請求と同じ事になりますのでお母様の委任状をお持ちください」

私「母はギラン・バレー症候群という病気で麻痺が残っていて委任状は書けません。認知症はありませんが手は不自由です」本当は何とか字が書けるけど)

隣の男性局員となにやら話をして、今度は2人で話しに戻ってきた。

郵男「え~と、お母様は同居していらしたのでしょうか?」

私「いいえ、もともと別居で一人暮らしをしていました。今は施設で預かっていただいています」と通帳に記載されている施設の自動引き落としのところを見せる。

郵男「それでは住所は施設に?」

私「はい」

郵男「お母様の健康保険証と窓口にお出でになる方の身分証明になるものとをお持ちになって、この書類を書いてお持ちください」と保証書と書かれた用紙を一枚くれた。

内容は

下記名義人○○○○○は○○○○○の理由により、次の手続きをとることが出来ませんので、名義人に代わり、下記貯金の{払戻請求・貸付請求・再発行請求・無証書解約請求・証書払戻請求・○○○○○}を行いますが、もしこれにより後日、ゆうちょ銀行または郵便局に損害を与えた場合は、ただちに弁償します。

また、本件に関し将来、何らかの紛議が生じた場合には、私どもにおいて責任を持って解決し、貴行又は郵便局には一切迷惑をかけません。

ふ~ん

書類には母の名前と私の名前、それに連帯保証人を書く欄がある。

私「この連帯保証人と言うのは誰でもいいのでしょうか?たとえば私の主人でも?」

郵男「はい、結構です」

え~~、なんだか簡~単~!

去年相方の通帳の件でひと悶着やらかしたときは、行くたびに委任状を書かされ、なんだかんだと言って受け付けて貰えず、3回目にはとうとう相方が自分で行かなければならない羽目になった。

それに比べてこの簡単さは何だ?

私と母の姓も違う、住所も違う、なのに娘の証明をしろとも言われなかった。

実家から施設に住所が移った証明は要らないのか?

いや、簡単な事に苦情を言いたい訳では決してない。

もっと面倒なことを言われるかと楽しみにして行ったのに、あんまり簡単でつまんないなぁと・・・

ちっとも急いでいるわけじゃないし、こんなに簡単なら別にいつでもいいしなぁ。

忘れられた頃になったらまた行くかなぁ・・・

母の役所手続きに追われたこの一年、どうも自分自身の性格まで追い込まれたような気がする。

我ながら嫌なヤツになってきた。

| | コメント (0)

2008年10月 8日 (水)

今思うこと

↓で書いた補助金や助成金、また医療保険の還付金について。

今回の母のドタバタで後期高齢者医療保険や介護保険で振り回されたが結果としては世の中で言われているほど高齢者に冷たい世の中でもないかも知れないと思っている。

もちろん病院の冷たさは感じているが、高齢者福祉の面ではそれほど冷遇されているわけでも無さそうだ。それなのに日本国中で問題になっているのは社会保険庁や政府の国民に対する周知の下手さなのじゃないだろうか。

我々が知りたいことをきちんと分かるように知らせてくれないから、実際あたふたしてみないと何も分からない。

保険料を年金から天引きする事で多くの高齢者が反対しているが、天引きを止めたところで払わなくて良い訳ではないわけで結局振込みや銀行引き落としで払えと言うなら払いに行く手間を考えれば天引きの方が楽じゃないのか。

天引きを止めて、払いに行くのが面倒だからと払わなかったら補助金や助成金の還付も資格が無くなるわけで、いざそうなった時に困るのは高齢者自身。

そういうことをきちんと理解できるように説明する義務が政府にはあるのだと思う。

若者の年金不払いだって、政府の説明不足が大きな原因だと思う。

(まぁ、一番の原因は役人の無駄遣いがばれた事だけど・・・)

たまたま母の場合は遺族年金の独居老人だったからこんな具合でありがたい状況ではあるが、もし夫婦揃っていて年金額が多くて非課税所帯でなかったり、親と同じ所帯で誰かが住民税を払うだけの収入があったりしたら減免措置がなくなるので毎月の出費は大きな負担になってくる。(介護施設の利用料金をご覧ください)

親なら所帯を強引に分離する事も出来なくは無いが夫婦だったらどうする。(無理やり別居でもするか?それとも離婚か?)

この先夫婦で歳をとっていくことが不安である。

| | コメント (0)

2008年5月 7日 (水)

一週間分まとめて更新

書かなければならない事をズルズルと一日伸ばしにして、とうとう一週間。まとめて書こう。

5月2日
昨日持って帰ったノープレッシャークッションを何とかしようとカバーを外してしばし考える。
何を考えるって・・・だってこのクッション高価なんだもの(私にはね)。
切ってしまってまた何か言い出したらどうしよう。でもこのままじゃお尻は痛いし膝の後ろはつかえるし。
やっぱり切るしかないかと、上に乗せる低反発のクッションを探しに行ったがどれも厚みがあって重ねるにはどうかと思うようなものばかり。
結局厚みはあるもののまぁ安かったから、だめでもともとと一枚買って帰った。
高価な(しつこいね・・・笑)クッションの膝側を10センチ程切り落とす。
ちょっと曲がって左右の奥行きが5ミリくらい違うけど黙ってりゃ分からないさ。
上に買って来たクッションを重ねて、ポケットに当たる部分に切り込みを入れ、あっちを切りこっちを削り。
何度も自分で座ってみながら調整し(自分では上出来だけどお尻の肉は充分あるから、やせっぽちの母はどうかなぁ)出来上がりを無理やりカバーに押し込む。
座ってみたら、あらいいかも~。

5月3日
午後から新宿へ
19日に法事で行ってきたばかりの寺。今度は父の墓参り。
春の彼岸は母のバタバタでとうとう行きそこなった。
今回は父の生前に片腕だった職人さんが親父に会いたいと一緒に行く事になり、久しぶりの杉並経由新宿行き。墓参りって済ませた後がとっても落ち着く。
しばらくの間、墓の前で昔話をした後また杉並のご自宅に上がりこみ、しまいにはお土産を貰って帰ってきた。
その日の夕食は持たせてくれた筍ご飯と蕗の煮物とお漬物。
味噌汁だけ作って楽チン晩御飯。

5月4日
サイズをなおしたクッションと高カロリーのゼリーやらクッキーやらをもって母の所へ。
車椅子にクッションを置き、座らせてみると結構いけるかも。
イヤイヤ、油断はならないぞ、今はいいけど何を言い出すかは分からない。

介護士さんからそろそろ自走式の車椅子に乗せてみたいが施設には空きが無いとの事なので、姉の使っていた車椅子を持ってきてくれるようにと姪に連絡。

オムツを昼の間パンツ型にしたいから買って来いと。ついでにお風呂の垢すりも自分専用が欲しい。入れ歯の保存容器と洗浄剤を買って来い。  はいはい分かりました。

あんたが大将、何でもします!

ここでちょっと一休み
今日は隣地域のお稲荷さんの祭り、先ずは子供神輿

0805043

次は女神輿(担いでいるのは若いママさんたち)

0805042

そして通り過ぎた山車と男神輿

0805041

我が家が子育てをしている頃、神輿は2台だった。いつの間にか3台になったんだ。 それにしても地味な祭り。

さて、続き

5月5日
姪が車椅子を届けてくれて自分で動かし始めた。

5月6日
弟家族が母に会いに。
弟は大学病院にいる時以来母に会うのは初めて。
母の回復にはびっくりしたらしい。
そりゃあそうだ、あの頃はベッドで座る事さえ出来なかった。今は自分で車椅子を転がしている。
甥っ子はもっとびっくりしていたらしい、彼は人口呼吸器を云々されている時から会っていないのだもの。
意識が無く酸素吸入をしている頃から見たら、今目の前で車椅子を転がす婆ちゃんは恐るべき婆ちゃんだ。

夜になって、義妹からメール。春になって周りの人がブラウスを着てるからブラウスを持ってきて欲しいと言っていたとの事。 ブラウス?! 今だって肌着にTシャツにトレーナーにベストを着てるのにブラウスかい!

肩が痛いのに延びない生地のブラウスは着にくかろう。ボタン留められないし、腕まくりもしにくいよ。

そして今日
行ってみたら案の定。車椅子に例のクッションは敷かれていない。なおかつベッドで昼寝をしていた。 座りっぱなしでいると背中が痛いらしい。

「クッションは?」

「あれねぇ、あれ敷くと床に足が付かないんだよ」

「車椅子が変わったからでしょ。で、お尻は痛くないの」

「痛いからお姉さんにタオル敷いて貰ったよ」

「足が床に着かないと駄目なの?ステップに乗せればいいんじゃないの?」

「ステップが高くて乗せると窮屈なんだよ」

「じゃあステップを下げたらいいんじゃない?」

で、車椅子の調整をする。 ステップを下げ、足を乗せて楽に座れるようにした。が、今度行ったときには何を言い出すか分からない。

ブラウスは話をしたら要らないということになった。

帰りにケアマネさんから話があり、ギラン・バレー症候群だったという事で提携病院の神経内科を受診するので、朝一番で病院に行き午後の診療の予約を入れるように。そして、午後から予約の時間少し前に受付を済ませるようにと。行ったり来たりの一日がかりの受診。

なかなか「これで安心」にはならないみたいだ。

ゴールデンウイークは終わった。

| | コメント (0)

2008年4月10日 (木)

想い

このところ高齢者で持病もちの母のリハビリと施設入所についてずっと考えていた。

ギラン・バレー症候群でほとんど3ヶ月近く寝たきりだった母が、大学病院から出戻って来てからリハビリを始めたわけだが、毎晩のように熱を出した。

大学病院では病名が分かった時点ですでに1ヶ月半を過ぎていて治療は出来ないと結論付け、後はリハビリをと言いながら退院まで3週間寝たきりになっていた。この間リハビリが出来ていたらもう少し回復は早かったのかも知れない。

そして出戻った病院、リハビリテーション科はあったものの整形外科の手術後や脳外科の手術後のリハビリが多く、リウマチ持ちのギラン・バレー後廃用高齢者のリハビリの経験はなかったらしい。

大学病院でも、このリウマチでのリハビリは相当に気をつけてやる必要があって難しいとは言われていたが、やっぱりリハビリをすると熱が出た。

ギラン・バレー症候群で神経が阻害され感覚も鈍くなっていて本人が感じる痛みの境界線が関節の可動域を超えてたり、その上リハビリは痛いものと言い聞かされていた本人が痛みをじっと我慢していたりで予想以上の負荷が関節にかかっていたようだ。また、寝たきりで筋肉も退化し、骨と皮だけになった体には床のマットの薄さも堪えたようだ。肩や肩甲骨には骨が床に擦れるたびに痣のように赤くなった部分があり、そこは一晩疼いて眠れないと言っていた。そのための発熱もあったようだ。

できることならリハビリを続けて動けるようになって欲しいとの思いはあったが、体と心に負担なだけのリハビリが本当に母にとっていいのかどうか随分と考えた。相談室で見つけてくれた病院も、リウマチがあって、ギラン・バレー発症から3ヶ月も経って廃用が進んだ高齢者のリハビリがどこまで理解されるかも不安だった。転院して痛い思いをして毎日熱を出し食べるものも食べられなければ体力的には衰弱する一方だろう、そしてその150日後には衰弱したまま療養型の病院に転院となり毎日を天井を眺めながら過ごすわけで、そんなリハビリが母にとってどうしても必要なものかどうか。母の表情は日に日に暗くなってきていた。

一日中天井を見つめている日々。想像するだけで気持ちが重くなる。それでもいつか動けるようになるならとも思っていた。

特養にはいれるかもしれないとなったとき、母にはどう説明しようかと悩んだ。

6年ほど前に有料の介護施設に母と一緒に行った事があった。そのときは全然別の用事で出かけたのであって、全く見学でもなんでもなかったのだが母は用事が済む前に帰ると言い出した。そのときはこんな入所に数千万かかる高級ホテルのような立派な施設になんか入れるわけが無いと笑ったが、いつか来るかもしれない自分の姿を見たくなかったのかもしれない。この高級な有料施設でさえ、様付けで呼ばれている入所者に明るい目の光は見られなかった。ましてや介護保険での特養となれば昔の老人ホームと言うイメージが残っていて、そこに入れる事が自分にとって母を捨てるような負い目を感じてもいた。

しかし、今回の施設の見学をさせて貰ったときの明るい雰囲気に母にはここが適しているのではないかと言う思いが強くなった。母に話した時、あまりにもあっさりと特養入所を納得したのにも正直驚いた。それだけ病院での毎日が辛かったという事か。

今、施設に入所して4日が過ぎ、母は毎日をそれなりに受け入れて施設になじもうとしているらしい。少なくとも病院にいるときよりも表情は明るく、話し方も力強くなってきた。

やはり人間は人間の中で会話をしながら過ごす事が大切なんだろうと思う。

たとえそれがちょっと的外れな会話でも、天井を眺めながら言葉を発しない毎日よりはずっと生きている事を実感できるのだろう。

施設では出身地の近い人を同室にとの配慮をしてくれたようで昔々の東京の話が出来る事を喜んでいる。みんなでリハビリがてらタオルをたたんだりしながら誰かと同じ作業が出来ることも喜んでいる。

人は人の中で人によって生かされているんだ。

そんな事をふと思う。

そして・・・私も多くの人の中で助けられながら生かされている。

| | コメント (0)

2008年4月 6日 (日)

白衣のアンパンマン

昨夜また熱を出して落ち込んだ母。

母だけじゃないさ、私だって昨日の帰り、車の中ではどんよりと空気も気分も重かった。

そして今日、夕方行ってみると、とりあえず熱は下がっていた。

日曜なのに朝早くから副院長が病室に来て話をしていったとの事、明日の退院は大丈夫かと聞いた母に 「う~ん・・・まぁ いいでしょう」 と言ってくれたらしい。

げんきんなもので、そうなれば一気にうるさくなる。

明日の退院に着るものはあ~でなきゃこうでなきゃ・・・

持って行く荷物はあれとこれと・・・

婆ちゃん、持ってきたよ。  明日着るもの。  持って行くものは行ってみないとどのくらいの収納スペースがあるかは分からないからとりあえずの物を揃えておいおいにね。

持って言ったものは本人の思っているものとは違うようで今ひとつ気に入らないようだが我慢せい! ズボン一枚実家に取りに行くのは勘弁してくれ。

それにしても日曜の朝早くから病院に出てきてた副院長、ネクタイに白衣を着た正義の味方アンパンマンだ!

アンパンマ~ン  来てくれてありがと~う!

相談室のメロンパンナちゃんも色々ありがと~う!

今晩一晩、熱が出ませんようにと切に祈る。

| | コメント (0)

2008年3月28日 (金)

○捨て山の復活か?

実はこれを書こうかどうか随分と長い間悩んでいた。下書きに保存して書いては消し、また書いては消し・・・

書いたからといってどうなるものでもないし、まして今いる病院には言えるはずも無いし言う気も無い。 ただ・・・今の老人医療と老人福祉、本当にこれでいいのかと思う。

今回の母の病気は特殊なものだったし、その時々でそれなりの考えで医師が判断したのだろうし、結果として治療の機会を逸してしまっても命は助かったのだからそこまではそれで良しとしなければならないだろう。  しかし、切ないのはその後。

大学病院では、入院する前にそれまでの経緯から病名の目星が付いていたらしく、検査のための入院として受け入れるが家で介護するための準備期間だと思うようにと言われていた。そして検査の結果、ギラン・バレー症候群と病名が分かったところで治療法が無いとなったら次を探せと言われた。今回は大学病院に転院のために2番目の病院を出る時、出戻ってもいいかと聞きOKの返事をもらっていたので大学病院の医師から出戻り要請をしてくれて今居る病院に戻ってくる事が出来た。(これだって大学病院からの紹介状を持って家族が受診してからの受け入れだけど)

そうして出戻ってきた今の病院・・・

大学病院に転院する前からこの人がどうしてここに居るのだろうと思う人が数人居た。 朝から晩まで一日中車椅子に座らされてナースステーション前のデイルームで過ごしているのだ。 一言も発することの無い人、誰彼かまわず大きな声で呼ぶ人、何が気に入らないのかそこにある椅子を投げる人など様々(すべてご高齢)。

そして入れられたのが、なんとも言いようの無い病室。 部屋に対する不満を書こうとしているんじゃないから、誤解の無いようにして欲しいんだけどね・・・。

部屋は5人部屋、男が1人女が4人、高齢でも男女一緒ってどうなんだろう? 部屋が狭くてカーテンを引くと邪魔だからと、爺ちゃんの体位交換の時なんかオムツもその下も丸見えだった。 そうそう、椅子を投げちゃうお婆ちゃんも誰彼かまわず呼んじゃうお婆ちゃんもこの部屋。 認知が無いオムツ人間の母には随分と辛い部屋だったと思う。 そこには約10日間いた。 その後病棟を移りやれやれと思ったら今度は重症の高齢者ばかりの病室。 6人のうち5人とも認知症で4人は呼吸器装着と経管栄養、一日中会話は無い。

10日ごとの支払いや相談室の往復で病院内をうろうろしながら気が付いた。 高齢者が多い! それも治療してるのかしてないのか良く分からない高齢者が多いのだ。 確かに世の中高齢者の割合が多いのだから当たり前なんだけど、ここは近隣でも中核とされている総合病院。 もちろん救急指定。 だけど高齢者であふれてる、これじゃあ早く次を探して出てくれって言われるはずだ。

高齢者は儲からない仕組みになっちゃったんだものね。手間はかかるし、治療のし甲斐はないし。 でもね、行く先はそう簡単には見つけられないんだよ・・・。

昔は親を自分の家で看取るのがごく当たり前で、歳をとるとだんだん外に出なくなり、次に家の中でもあまり動かなくなり、寝たきりになって・・・ そして旅立っていった。 それは日常の流れであり自然なできごとだった。 医者も時々往診しに来て最後の時は看取ってくれた。 きっと今みたいに詳しく調べれば病名もあったのだろうが、それなりの年齢になっていれば老衰にしておこうかくらいのもので家族もそれで納得していたっけ。 そうやって次の世代に日々を託して旅立った。

今、医学の進歩とともにかかりつけの近所の先生というものが少なくなり、時間外や休日に具合が悪くなると少し大きな病院に運び込むしかなくなった。 そこでは入院し病名を付け治療に入る。 もちろん治療で治る病気ならこんなにありがたいことは無いが、高齢者が最先端の治療を受ける事って本当に本人のためかどうか。 もちろん私だって決して早く死ねと思ってるわけじゃない、ゆっくり穏やかに暮らして行かれるならいつまでだっていて欲しいさ。

母の場合も相談室のお姉さんはリハビリが大切と言ってくれた。 それは母のことを思っての優しい言葉に違いない。 違いは無いが体重30キロしかなくなって骨と皮の婆ちゃんにこれから何年あるか分からない日々を痛いだけ・辛いだけの日々を送らせるのは切ない。

昨日、万が一の時同室の人と同じような処置を望むかどうか母に聞いてみた。 「要らない、真っ平ごめん」と。 そうだよね~。

でもね、今の医学って進歩した分だけ人の心は無くなっちゃったんだよ。 病気や体は診てくれるけど人生は診てくれないから。   

高齢者医療をこんなにしちゃったのは誰なんだろう? やっぱり我々家族か? 戦後の高度成長で日本が豊かになったのに? 自分の生活を守るために親を捨てる? 親を引き取って自分の生活が壊れても仕方が無い?  

高齢者が連れ合いを殺めてしまった事件。 切ないよね。 あの爺ちゃんや同居していたという家族にはこの先の毎日が辛いんだろうなぁ。 

年寄りがゆっくり安心して旅立って行かれる様な日本にはならないのかなぁ。

この先施設に入れた母にすまないと思いながら毎日を送り、自分で見られない負い目を感じながらずっと生活するのか。

2020年、2030年と自分が高齢者になったとき子供たちにどれだけ負担になるのだろう。(まぁ、生きてればだけどね)

あんまり長く生きないでピンピンコロリといきたいなぁ・・・

今のうちに好きな事をしておかなけりゃ。

そういえば

4月1日スタートの後期高齢者医療被保険者証はまだ届かない。

     どうなってるんだろうね、お役所!

| | コメント (4)

2008年3月 2日 (日)

元気とやる気

高齢者に限った事ではないが、最近思った元気とやる気。

母が今居る病院で、前回の入院のとき出会ったお婆ちゃん。

始めて会った時、車椅子で落ちそうになりながら自分のスニーカーのベルクロを止めようとしていた。思わずしゃがみこんで手を出そうとした瞬間、彼女が一言

「ちょっとまって。これはね自分でやらないといけないの。家に帰ったら何でも自分でやらなけりゃならないでしょ、ありがたいけど黙って見ててくれるのが親切!」と。

そしてベルクロを止め、車椅子を動かし始めると今度はテーブルと椅子の間を通り抜けられずに椅子にぶつかった。またふと手を出しそうになった瞬間

「ちょっとまって(以下同文)・・・・・!」

「そうよね、見てるのが親切よね」と私。

「でもね、車椅子から落ちちゃったら拾ってね。」とお婆ちゃん。

「嬉しいのよ、嬉しいけど自分のためだから見ててね。ありがとうね。」とも。 これには参った。もう一目惚れ。

このお婆ちゃんが大好きになった。heart01

母が大学病院に転院するまでの1ヶ月間、このお婆ちゃんに会えるのが楽しみだった。

50年も前、近隣では初めての女性トラック運転手だったと言うこのお婆ちゃん

荷物を運んだ先で「何だ女か!」と言われると「女で悪いか!」と答えたそうだ。

40年近く前に自動車整備士の講習で「あれっ女が居やんの」と言われ「女が居たっていいじゃん」と答えた自分自身を思い出して、嬉しいのなんのって・・・嬉しかったぁsign03

母が転院する前の日、「明日はリハビリ病院に移るのよ。」と言いながら歩行器でフロア中を歩いていたお婆ちゃん。

当日は病院から出された退院祝いのお赤飯を目の前に置いて「これ、いつ食べたらいいんだろうね~。」と笑ったお婆ちゃん。素敵だった。

元気だったからやる気満々だったのか、やる気満々だったから元気で居られたのか。どちらにしても元気とやる気、無関係では無さそうだ。 

人間、年齢を重ねればそれなりの病気もあるだろうし、若い人の元気とはまた違った元気かもしれないが、心の持ちようでこんなにも明るく生きられる。

そういえば、昨年出会った85歳のお爺ちゃんにはこう言われたんだったっけ

「物の見方を変えたら、明日からはもっと明るく自由に生きられる」 

このところちょっと落ち込んでいた自分自身に言い聞かせた。

大丈夫! 明日は明日の風が吹く。  楽しんで生きよう!

| | コメント (2)

2008年2月22日 (金)

民間救急車

今日やっと某大学病院から2番目に入院した病院に出戻り入院となった。

医師から転院の許可が出たのは水曜日。

まだストレッチャーで運ばねばならないので手配したのは民間の救急搬送業者。

本当は先週15日の金曜日に転院するはずだったのだが熱発のため延期となりキャンセルしてあったので、業者(民間救急あすかサービス)には再度の依頼となった。

水曜の夕方、急遽金曜日に転院となったが受け入れ時刻は午後としか聞かされていない旨を伝えてとりあえず車の予約だけを頼んでおいた。この時点で午前中は予約が入っているので午後なら大丈夫との返事をもらった。

が・・・木曜日、夕方病院へ行くと明日(金曜日)の移動時刻は午前10時発、11時着で、との事。

あらら・・・午前中になっちゃったのかぁ。(ストレッチャー用の車は午前は予約があるって言ってたから、車椅子で移動になっちゃうと厳しいかなと思った)

と言う事で慌てて業者に連絡を入れると「昼間のうちに病院の方に確認して午前の手配に調整いたしましたので、ご心配は要りません。午前10時にお迎えに上がります」との事。助かった!

ほら、民間の業者はちゃんとそうやって客の先行く心配りをしてくれる。 それが企業努力と言うものだろう。商売だからと言ってしまえばそれまでだけど、客があたふたする前に確認して調整できるところは調整してくれたのだ。

そんな訳で今日はちょっと心が軽い。note

ただ今午後の4時過ぎ。この一ヶ月、この時刻は毎日車の中だった。

真正面からの夕日がまぶしくて信号の色が分からないからとグラサンをかけて国道を突っ走り、外し忘れてそのままうっかり病室まで行っちゃった怪しいおばちゃんも卒業だ~!

それにしても、病院そばの交差点で信号待ちの時、いつも気になっていたカフェの「モカソフト」の文字。

ちょっと遠いけど、そのうち食べに行こうっとsign03

| | コメント (0)

2008年2月21日 (木)

自分の書いたものを振り返って読んでみたら、なんだかやたらと怒っている。

別に手間がかかったり、時間がかかったりしている事に怒っているわけじゃないんだ。

分からなくてバタバタしてるのに役所って不親切で・・・

  • 在宅で無いとケアマネは関知しない
  • 家族が自力で探し自力で申し込み

なんて、役所ではぜんぜん聞いてなかった。(ネットで調べたから知ってたけどね)

介護認定が確定して介護保険被保険者証が届いたときに同封されていた数枚のプリントにも書いてあるのは在宅で介護する場合に使える介護サービスとサービス業者の一覧表のみ。

特養や老健施設については一言も記載は無い。

せめて一言でもいい、「施設に関しては自分で探して自分で申し込みをする事」くらい書いたらどうだ。

「先ずは在宅で」と言うのが基本の考えなのだろうが、それが出来れば誰だってそうしたい。自分の親の面倒を見たいと思ってもそれが難しいから悩んでいるのに・・・。

時間が・・・続きはまた後ほど

続き

昨日また役所から封書が来た。今日になってあけてみると、今度は前回の窓口の机一つ分隣の窓口から。

オムツと移送費の補助金が出るとの事。

明日は転院の予定があるのですぐに電話を入れてみた。

私「オムツと移送費の補助金の案内をいただいたのですが」

役「申請していただければ翌日から、オムツは1ヶ月あたり一万円の補助が受けられます。移送費も申請していただければ補助金が出ます」

私「実は明日転院の予定があるのですが」

役「それでは今日のうちに申請に来てください」

ということで急遽行ってきた。

私「オムツと移送費の・・・」と言いかけたところで

役「先ほどの電話のかたですね」と。

これなら話は早いかと思いきや

役「先ずこれを書いてください」と書式を三枚。

一枚は補助金の対象にして貰う申請書、もう一枚はオムツの補助申請書、そして最後は移送費の申請書。

なんだ、それぞれ別かよ。(まあ、良いけどさ)

オムツは、申請の後オムツ券なるものを郵送するので、買った時の領収書とオムツ券を付けて役所に出すと銀行振り込みで支払われるらしい。これはこれでも良いけどね、問題は移送費。

本来は役所から書類が送られるのでそれを持って利用した業者の証明を貰って領収書と一緒に役所に持ってこいと。

私「明日の移送に、今その書類をいただくわけにはいかないんですか」

役「それは出来ないんですよ、郵送で送りますので明日は間に合わないでしょうから、業者の運転手さんに後で証明が必要になる旨を話しておいて、書類が届いたら送るなり行くなりして証明書を貰ってください」と。

まただよ・・・

どうして何でもかんでも郵送しないと気が済まないんだろう。

今ここに来てるんだから、くれりゃあいいじゃないか。

だいたい、介護認定の申請を出して要介護5となればオムツが必要とか移動にはそれなりの車が必要とか介護用品とか必要なものは見えてくるだろう。

いまどきはコンピューターで管理しているんだろうし、この人にはこんな案内が必要になったくらいの事はまとめて管理できないのか。

認定の申請はここ、オムツの補助申請はこことパラパラ来る案内を一度で済ませれば経費も浮くんじゃないか。

補助金はありがたいが、この手際の悪さは何とかならないものか。

苦情ばかり書いているみたいだけど、役所って聞けば何でも教えてくれる。

結構丁寧に教えてくれる。ただし、聞けばね~。

初めてのことで何を聞けばいいのかも分からないときにはまったくもって不親切。

あたふたしながら勉強勉強!

どうしてこんなに無駄な経費をかけたいのか、これは謎・・・。

おかげでボケてる暇が無い。ありがた~いcoldsweats01

| | コメント (2)

2008年2月15日 (金)

今日から

いつか自分の好きなことを書こうと思っていて

gecko_fieldのURLが取れるうちにと登録してあったブログ

母のギラン・バレー症候群発症からちょうど2ヶ月が過ぎ

あたふたして時間がとれずHP本館の更新が滞ってきたので

その後の経過をここに書いていくことにした

これから何がどうなっていくのか見当は付かない

でも大丈夫 明日は明日の風が吹く

きっとなるようになる

|