お知らせ(しばらくの間トップに固定します)

2016年秋 @niftyのホームページサービスが終了となり、本館サイトのURLが変更となりました。

 新しいURLはhttp://gecko-field.my.coocan.jp/です。 右サイドバーの本館サイトは修正いたしましたのでよろしくお願いいたします。 

本館サイトの介護施設の利用料金2017更新しました目安としてご覧下さい。

本館サイトの介護施設の利用料金2018更新しました。

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2014年6月21日 (土)

生きることそして逝くこと

6月5日にちょこっと書きましたが、我が姑は6月1日に亡くなりました。

平成25年3月に胃の部分切除をしてから1年と2ヶ月でした。

胃癌の切除手術の時にはこれで100歳まで生きられると言っていた姑でした。

その後 夏には意識をなくして救急搬送され3週間の入院生活をしたものの原因は分からず、痺れを切らした姑は勝手に自己退院して来ましたが秋になって完全房室ブロックが見つかり心ペースメーカー装着となりました。

初めて見た心ペースメーカ、本体の大きさはおよそ500円玉が二枚重なった位です。

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この辺からは体調の波が大きく上下するようになり、認知症の症状も少しづつ現れるようになりましたが、これは年齢なりの物忘れ程度のことで 基本はしっかりした頭の持ち主でした。

今年に入ってから体調は少しづつ下降し始め、3月に入ると腹水が溜まり始めて食欲も落ち 更には食べたものが逆流するようになりました。
昨年胃癌の手術をした病院では当時すでに末期の胃癌で完治を目指すものでは無いということを承知での手術であり、術後短期間でかなりの確立で癌性の腹膜炎が起こる事は想定内ではあったけれど 溜まった水は簡単に抜けばいいと言う物ではないし病院にはその処置をする設備も医師もないので処置はしないと言い渡されておりまして・・・

しかしながら 苦しむ様子を見かねて 溜まった腹水をなんとかして欲しいと何件も病院を受診しましたが、腹水は取ればいいと言う物ではないとの判断をする医師が多くて相手にしては貰えず、受診4件目で最後の望みを科学療法専門の病院に繋ぐこととなりました。

この病院とて胃癌に関してはもう処置は無いので、後は腹膜炎をどう抑えて余命をどう延ばすかの処置だけと。

最後の望みと言ったところで すでに齢91を過ぎ癌の末期を迎えた姑にどんな望みがあるというのか・・・

ただただ 辛い苦しいを取り除いてやりたいとの一点だけでした。

この時点でまだ姑には癌の末期でこの病院が最後の砦だという現実は伝えてありませんでした。

腹部にポートを入れて腹水を抜き、そのポートを利用して抗癌剤を腹膜に直接吹き付ける。

それができれば通いで水を抜くことができる、通わなくても在宅で訪問看護の医師でも水を抜く処置ができると。

正直いえばこれはもう半ば騙したに等しいわけで・・・

連休前に緊急で入院を受け入れてもらい、連休明けに急ぎポート挿入の手術を手配できたのですが手術前日に発熱し延期となりました。

入院と同時に抗癌剤を始め、それが負担で日に日に体力が落ち、見る見るうちに小さくなっていく姑。

この頃からは姑自身もある程度自分の余命を察していたと思われ、しきりに退院して家に帰ると訴えていました。

芳しい回復は見られないまま5月半ばには医師から三択の決断をせまられ・・・

①一か八かの手術に賭ける

②体力の快復をじっと待つ

③何もしない

先生だったらどの選択肢を選びますかと聞いてみたら 医師は③を選ぶと・・・

③を選んだら退院して家に帰すという事です。

老々介護状態の姑と義兄、一歩も二歩も離れて生活している我々夫婦には何も言う権限は無く、ひたすら義兄の意向に従うのみです。

この夏は多分越せないだろうと言う我々の言葉にも耳をかさず、最後までなんとか今年を越させたいといっていた義兄。

その義兄が①を選択したのであればそれを覆すことはできません。

一年前の胃癌の手術の時はっきり告知したほうが良いのではないかと言った我々に、かわいそうだから告知はしないと言った義兄。

たとえばあの時に告知して残りの時間をどう過ごすかを姑自身に考えてもらう事はできなかっただろうか。

結果として一年二ヶ月の日々を なんでこんなに辛いんだろう 歳をとったら楽になると思っていたのになんでどんどん苦しくなるんだろうと言いながら暮らした姑。

もう退院して家に帰りたいと訴える姑に、この処置が済んだら楽になれるから そうしたら退院できるからと 答えながら心が重くなる日々。

①の一か八かの処置が無事に済めば最終的には家に帰るのだからと訪問看護専門の医師を探したり、緩和ケアの受け入れをしている病院を探したりし始めた矢先、手術から一週間後の旅立ちでした。

あれから三週間が過ぎて、今改めて考える生きているという事 そして逝くという事。

どう生きる? どう生きてきた? もうあまり残りは多くはないよなぁ・・・

じゃあこれからどう生きていく?

ここまで来ると 生きていくの「いく」は「行く」か それとも「逝く」なのか?

生きていく なら「行く」だろうし

生きてからいく なら「逝く」だな

考え始めると言葉まで怪しくなってくる・・・(笑)

いつまでかは分からないけど、その時に「面白かったな」と思えるように生きていたい。

この先何回見られるか分からない桜、自分自身の期限が分かった時には南から北まで二ヶ月の桜見物と温泉三昧の旅をしてからがいいな。

あとは今がその時かと納得して逝きたい。

産まれたときから誰にも来ると決まっているその時。

いつであれいつかは来るから・・・

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2014年6月 5日 (木)

介護はさらに減りました

平成26年6月1日 姑の旅立ちにより 介護話はさらに減り、振り出しに戻って母の介護話のみとなりました。

姑の介護(看護)には思うところも多々ありますが、今の所何も考えることが出来ずまとまっておりません。

もう少し落ち着きましたらちゃんとまとめようと思います。

この日本の今と言う時代は生きにくい時代であり、さらには逝きにくい時代でもあると痛感しています。

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2014年2月 9日 (日)

どうしようかなぁ~このブログ 藁

以前に「介護施設の利用料金」をごらんになった皆さま

時々新しい情報に加筆・修正をしておりますので

たまに確認して下さいますようお願いいたします

え~と、置きっ放しでだらだら長くなってしまったトップ固定記事の指定を外して下に置きました。

2014年1月  3つあった介護話は兄が亡くなったために2つになりました。

この先ここをどうするかはまだ決めてはおりませんが、母と姑に特に変化がなければ更新もまたまた滞っていくと思います。

しばらくは在宅の姑の居宅介護サービスについての記事が中心になりそうですが それとてどこまで書けるかは分かりません。

施設で暮らしながら「家に帰る」と言い続ける母、片や独身の義兄が老々介護をしている姑。

この先どうなって行くのか 自分自身の年齢を考えると重いです。

それでも 今の日本にはもっともっと大変な思いをしている家族がたくさんあるわけで・・・

東京都知事が新しくなりました。

大丈夫か~?日本           大丈夫か~?東京  

大丈夫か~? ぢぶん・・・

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2013年7月23日 (火)

確定申告の落とし穴

いい加減久しぶりの更新

まずは母。

ギラン・バレー症候群発症から5年半、今は身の回りのことはまったく問題ないまでに快復し「そろそろ家に帰れる」と言い出した。

我が家の孫達がもう少し大きくなって孫の子守が必要なくなったら そして姑と兄の方が片付いたら(どう片付くのか・・・書けないけど)そうしたら家に帰してやりたいとは思うが。

もう少し待ってと言う私に「もう少しっていつまでよ、そのうち死んじゃう」と言い放った。

次に そのいつかは片付くであろう姑。

このところ体調は良くなくて半月前にはとうとう倒れて救急搬送され そのまま緊急入院となり現在も入院中。
今のところ命に別状は無い模様。

今年3月、胃の部分切除の入院時、後期高齢者医療限度額適用・標準負担額減額認定証がないことに気がついた。
姑と同居の兄、そんな制度があることをまったく知らなかったとかで すぐに役所に行かせたが 知らずにいればそのまま高い医療費を払っていたわけで、まったくもって役所とは教えてくれない所だ。

そして実兄の件では またドタバタ。

昨年4月のドタバタからすぐに長年通っていた病院に頼み込んでの措置入院となり、夏には老健入所となっていた。

当時の介護認定の結果は要介護4、今現在も要介護4。

娘とは世帯分離の手続きをして年金暮らしの単身所帯となり、限度額認定2段階限度額認定3段階(修正しました)での施設入所ということでぎりぎり暮らして来たのだが、今年になって介護保険限度額認定の申請が却下された。

理由は住民税の課税対象になってしまったからと。

実はこれには訳があって、年金400万以下は確定申告の必要が無いという税制の改正があり、その為に姪っ子はこの春 父親の確定申告をしなかった。

所得税の確定申告は必要なくても「医療控除」「生命保険控除」「社会保険控除(国民健康保険)」等々の控除を受けるには市県民税の申告をしなければ住民税算定に関してのこれら控除は受けられない。

昭和23年生まれの兄、年金受給年齢の移行期間措置で平成24年2月から25年(今年)の1月までの1年間の年金額が増えて(いえ 増えたと言っても月額は9万に満たないのだが)公的年金控除70万と基礎控除33万を引いても上に書いたような控除を申告していないのでほんの少しの所得残が出た為に非課税所帯から外れてしまった。

減額認定が却下されたとき 介護保険課に問い合わせたら課税世帯だから認定はできないと。

減額認定が下りなければ4段階となり施設利用料はとんでもなく跳ね上がる。(右サイドバーから介護施設の利用料金を見てください)

本人の年金ではとても賄える金額ではなくなる。

市役所の課税課に問い合わせると所得税とのからみもあるから税務署に問い合わせをするようにと。

税務署に問い合わせたら年金400万以下だから特に収めた税金を還付するようなことがなければ確定申告は要らない、市役所に問い合わせるようにと。

再度市役所に問い合わせて分かったのが上記「各種の控除」の申し出(申告)が無かったので役所で掴んでいる年金額から公的年金控除70万(昨年末現在で65歳未満)と基礎控除33万の処理だけをしたところ課税所帯となったとの事。

だってさぁ、処理するときに健康保険とかの控除を申告してないの気がつかなかったのか?

気がついてても申告してないから、数字が出てきてないから気にしないのか?

こちらの事情を詳しく話したら改めて25年度(24年の収入)分の住民税の申告をしなおせと。

とりあえずこの春にし損なった住民税の申告(修正申告)をすることになったが要介護4の兄 障害者控除の対象にはならないかと聞いてみたら それは福祉課の管轄なので福祉課に問い合わせをするようにと。

そして福祉課の答えは、歩くことができないならば「肢体障害」目が不自由ならば「視覚障害」その他各々の障害者手帳を申請して医療機関を受診して障害者控除の対象になるかならないかを改めて申請するようにと。

この障害者手帳を貰うにも手元に来るまで1ヵ月、肢体に関して 視覚に対してと それぞれの科を受診して診断書・意見書を取り、障害者としての条件に適合しているかどうかの審査請求を申請しろと。
なおかつ効力が発生するのは申請が受理されて決定してからなので今年度(つまり昨年分)の申告には適用されないと。

これじゃ間に合わないし診断書や意見書も数種必要となれば数万かかる・・・

この先1年間高額な施設利用料金を姪っ子にかぶせるしかないのか・・・

今年の年末現在には満65歳以上の枠に入り、公的年金控除が120万になれば来年からは問題なく非課税世帯だから一年踏ん張れと言うしかないのか・・・

とうとうここまでで手詰まりかと(頭も煮詰まったけど)そう思ったところで思い出した!

母が介護認定を受けて要介護5の介護保険被保険者証を受け取った時も その後更新の介護認定を受けて更新された被保険者証を受け取った時も 住民税の減免措置を受けられる可能性があるので申請をするようにという申請書用紙が同封されていた。

住んでいる市は違うが 母の書類をひっくり返して捜すこと1時間。

あった・・・

遺族年金(原則非課税)受給の母には不要な(メリットが無い)のにちゃんと届いていた説明書類と申請書用紙。

「障がい者控除対象者認定申請書」

市は違うが福祉に差はあるまいと 再度しつこく役所に電話を掛けた。

兄の現状を話し、母のときのような控除対象者としての申請をする事はできないのかと食い下がった。

折り返しの電話をひたすら待つこと2時間半、返って来た答えは「できますよ、申請にきてください」と。

煮詰まっていた頭の中は一瞬にして融けた。

ただし、また言われた・・・ 

母のときは「娘の証明」今度は「兄の妹」の証明ができるものを持参してほしいと。

持って行きましたさ 24年前に取って まだ持っていた戸籍謄本(笑)

紙の色が変わってしまってボロボロになった古~い戸籍謄本を広げて これが兄でこちらが私、ほら間違いなく兄と妹ですと。

謄本も運転免許証もコピーを取らせて欲しいと。

どうぞどうぞ こんなもので良かったら何枚でもコピーしてください(笑)

これでめでたく障害者控除の対象になることができ、ついでに却下されてしまった介護保険の限度額認定も同時に申請できた。
後は今回申請した障がい者控除対象者の証明書が送られてきたら それをつけて修正申告を済ませればいい。

この修正申告もね コンピューター入力作業が一ヶ月に一回なので、今月の処理日は終わったから8月の半ばまでに申告書を提出すればいいと。
で、姪っ子にはお盆休みに行くようにと伝えた。

仕事を休んでいかなくてもいいからありがたいのかどうか、一ヶ月に一回ってねぇ・・・(笑)

いや、本当は笑ってはいられない事なのだが なんだかねぇ、あまりにもお役所仕事が縦割り・細切れで 管轄が違うと何にも分からない。(或いは分かっていても言わない?)

聞かれた事には答えるが、こちらの状況を分かろうとはしない。

この人には何が必要なのかを考えることもしない。

こちらから聞かないと教えては貰えないというか 知らなかったらどうするんだろうというか、母のときから5年半が過ぎてもお役所の感覚って変わらないんだなぁと思ったらなんだか可笑しくて・・・

ま こんな訳で豪雨と雷の中で 今日の用事は無事終了となった。

この先もこの古~い戸籍謄本は捨てられない、捨てなくて本当に良かった。

介護問題を抱えているみなさん、役所にはしつこく聞きましょう。

困ったとき 何か救済措置は無いかどうか。

一ヶ所の部署だけではなく、あっちもこっちも 考えられるだけの部署に問い合わせましょう。

できれば役所に行って窓口で頑張りましょう。

どこかに何か制度があるかも知れません、何かの制度が出てくるかも知れません。

年金受給の皆さん、「400万までは確定申告不要」に騙されず、住民税の申告で控除できるものは無いかどうか確認しましょう。

確定申告は所得税に関してだけですよ~!

住民税は別枠ですよ~!

非課税にならないまでも住民税の金額が減るかも知れませんよ。

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2013年3月27日 (水)

旧トップ固定記事 2013年10月 更新

2014・2・9 だらだらと長くなってしまったこのエントリーのトップ固定を解除しました

2013年8月 以下の赤字の部分を加筆しました

介護施設の利用料金をごらんの皆様へ

新しい情報をポツリポツリと加筆しておりますので

右サイドバーから確認をお願いいたします

母のギラン・バレー症候群から始まったドタバタ 4年が経った今では身の回りすべてを自分でこなせるまでに快復しました。 それではと介護保険について少し書こうかと思った矢先の2010年、2歳上の兄の状態が思わしくなくなり 2011年夏にはとうとう左半身が不自由になりました。

 

いつか来るかと覚悟はしていた母の介護。
まだまだ先で自分には関係しないと思っていた兄の介護。 

本当に介護は突然待った無しの形ででやってきました。
このブログもこれからは母と兄と両方を綴っていこうと思っています。

この下が2013年4月更新部分
 

と書いてから どれだけ放っておいたか自分でも分からないほど経ってしまった月日。
とうとう もう一つの介護がスタートしました。
姑の胃癌が発覚して明日3月28日胃の部分切除の手術となりました。
いえ、完治を目指す手術ではありません。
すでに90歳を過ぎた姑、このままで静かに暮らせればそれが一番という皆の考えに反し 急遽手術になったわけ、それは癌の位置でした。
胃の出口に近い部分に腫瘍ができて食べたものを送り出すことができなくなっていました。
このままではこの夏は越せない(癌でではなく衰弱で)だろうとのこと、高齢なりの認知症はあるもののまだしっかりしている姑が毎日ひもじい思いをしながら ただその時を待つのでは あまりにも可哀想だと。
そのため今回は食べたものを通りやすくするための処置です。
本人も告知を受けて納得しています。

この下が10月更新部分 

そして7月6日早朝 倒れて救急搬送され そのまま3週間入院しましたがその間の様々な検査の結果を知らされることは無く、姑が痺れを切らして自己退院しました。
その後
9月に入って 動悸・息切れで動けなくなりました。
9月末に行った別の病院での検査結果は完全房室ブロック。
7月に倒れたのは アダムス・ストークス発作だったと思われますが、救急搬送された病院に3週間も入院していたのに何故分からなかったのか その間の様々な検査はなんの為だったのか・・・
10月4日 2013年に入って3度目の入院で、姑は心臓ペースメーカー装着となりました。

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2010年5月11日 (火)

介護保険 1

母の発症から2年5ヶ月、介護保険・介護施設を利用した感想と、支給されてくる補助金等について少し書いていこうと思う。

年金から天引き(母の場合)されている介護保険料、意見は様々あるだろうが・・・

もちろんこんな仕組みがなくても家族で介護が出来たり、公の高齢者福祉がしっかり確立されているならそれに越したことはないのだが、実際には税金からの支出が出来ない以上、各自が負担するのは仕方がないこと。支払わなければならないものなら支払うしかない。

年金からの天引きが不満だと抗議する動きもあるようだが、支払わなければならないなら天引きの方が手間は省ける。(そう思っているのは私だけか?)

後は集めた保険料を間違いなく高齢者の福祉に充てて欲しいと思う。

母に介護が必要になってから2年5ヶ月。

役所の遅々として進まない手続きや対応に腹の立つことも多かったし、行き先の見えない日々は本当に不安だらけだった。

今振り返ってみれば介護保険の仕組みをもっと前からちゃんと知っておけばよかったと思うが、政府からの説明の分かりにくさはなんとかならないものか。(と言うか 実際に介護が必要になってからでないと詳細を知るのは難しい)

実際にはどんなものなのかと「介護保険法」を読んでみた。作った役人の頭が良すぎるのか はたまた自分の理解力が無いのか、ちっとも解らない。

あれやこれやと色々読み漁り、やっと分かった後期高齢者医療保険と介護保険のできた経緯と仕組み。

昭和35年に自治体レベルで実施されていた70歳以上の老人医療無料化が昭和48年に国保レベルになったが 10年後の昭和58年に老人医療が急増して国保の運営が難しくなったために 老人保健法(老健法)を制定し患者負担を導入。運営主体は市町村で国保・健保からの拠出金工費で運営した。

さらに高齢化が進み健保組合の収入に対する高齢者医療費が昭和58年の13%から平成11年には40%に増大した為に、97%の健保組合が老人保健料の拠出を拒否する不払い運動が起きる事態となった。このことを受け 平成12年 老健制度を廃止して新たな制度をつくることが決議され 2年後の平成14年 新制度がまとまらないまま、・一部負担金を定率一割・老健制度の対象年齢を上げたり公費負担割合を引き上げる等の案が出る。昭和58年の老人保健法制定から10年以上に渡る議論の末、平成18年 後期高齢者医療制度となった。

また昭和35年の老人医療無料化に伴い 病院のサロン化や自宅介護の難しさからの社会的入院等の問題も表面化し、平成9年 介護を必要とする人を社会全体で支える仕組みとしての介護保険制度が成立し 平成12年4月に施行された。

こう書くといかにも高齢者にありがたい制度を新たに作り出したように聞こえるが、要するに高齢者が増えて健康保険の枠組みでは医療費がかかりすぎるので高齢者の介護部分を医療費から切り離し、新たに介護保険制度を作って若い人からも保険料を徴収しての高齢者対策をしたわけだ。

そして5年後の平成17年 介護保険法が改正され 平成18年から新しい介護保険制度がスタートし 平成21年 介護報酬・要介護認定システムの一部が改正され 現在の介護保険制度になった。

この改正によりそれまで6区分だった介護度区分を7区分にした。つまり軽介護度の高齢者が急激に増加したために 要支援と要介護1を統合して見直し、要支援1と2を「介護予防サービス」対象、要介護1~5を「介護サービス」対象とした。このことによってそれまで要介護1で介護サービスを利用していた人の中から要支援に変わり「介護サービス」から切り離される人も出た。

ここまでが現在の介護保険制度が出来た経緯。

さて、これからの内容がややこしい。

介護保険関連サービスでは65歳以上の高齢者を大きく4つに区分。

1.「元気な高齢者(一般高齢者)」

2.「虚弱な高齢者(特定高齢者)」

3.「介護予防が必要な高齢者(要支援高齢者)」[要支援1・2]

4.「介護が必要な高齢者(要介護高齢者)」[要介護1~5]

このうち1と2は介護保険対象外の為 自治体の高齢者サービスや、自治体独自のサービスを受ける事となり、3と4が介護保険利用の対象となるが3の要支援高齢者に対しては介護予防サービスとなる。

この改正によって新たに出来たものが「地域包括支援センター」・「介護保険3施設(特養・老健・介護療養型施設)の利用者負担金」・「地域密着型サービス」

高齢者の介護や健康管理(介護予防)に関して全体的に支援するのが「地域包括支援センター」で市町村の人口概ね2~3万人ごとに1ヶ所設置される。実際に介護保険関連のサービスを利用するには各センターのケアマネージャーと相談しで計画を練ることになる。

(我が市では人口13万人に対して現在5件のセンター有り)

1・2・3・4各々の利用できるサービスと各用語の詳細については、順次詳しく説明していこうと思うが、どこまで出来るか・・・



つづく

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2010年4月 2日 (金)

高齢者に新しい補助金?修正あり

高額介護合算療養費・(高額医療合算介護(予防)サービス費)

↑原文のまま。

なんとも長ったらしい名前の給付金支給申請書が届いた。

長寿医療制度の加入者の皆さまへのお知らせです からはじまる説明文、一度や二度読んでも何の事だか分からない。難しいなぁ役所の文章・・・

要するに医療保険で支払った金額と介護保険で支払った金額を合わせて一定額を超えた分を返してあげるから申請してねってことらしい。

合算の対象は20年4月から21年7月までの分。

16ヶ月って なんか半端な月数だと思ったら、制度の開始が20年4月からで医療保険の切り替えが8月1日だから20年4月から21年7月までの分だって。

ふ~ん、一昨年の4月開始で昨年の7月までの分の申請が今なんだ・・・

くれるって言うんだからなんでもいいけど、なんでくれるの?

国の予算って無いんじゃなかったっけ?

今までだって医療費はポツリポツリと(数十円だったりもするけど 笑)返ってきてるし、補助金や助成金も受け取ってる。

まだ返してくれるの?

介護保険料と後期高齢者医療保険料が余ってるのか?




ということで、施設に居る母の生活費は またまた低くなる。

今施設に払い込んでいる金額は月に52000円程、しかし 要介護4での高額介護補助金で施設利用負担金の限度額15000円を超えた分が支給され さらにその限度額でさえも介護保険利用促進助成金で半額の分7500円が支給されるので

・利用者負担金が最終的には7500円

・居住費が320×31で9920円

・食費が390×31で12090円

     合計  29510円

様々な介護の加算は介護保険から施設に直接支払われ、個人負担は無い。

そこに約4000円/月が支給されることになれば1ヶ月の実質費用は25000円程になる。

上記一行、間違いのため取り消しました。

正確には合算の金額が一定を超した場合に超した分を戻されるということです。

母の場合一番医療費が掛かった時期の上、制度のスタートが4月で対象とされる期間が八月~翌年七月と半端だったために一年以上の合算期間があり、そのためにかなりの金額が戻ってくることになっていました。すべての人に月いくらという金額ではありません。

そりゃあね もちろん支給してくれるなら受け取るけど、そんなにしてくれなくてもいいのになぁ。

一ケ月の施設利用料と医療費が年金で賄えれば生きては行かれる。

基礎年金が66000円くらいなら医療費と合わせてそのくらいの費用負担はしてもいいんじゃないかなぁ。

そんな事に使うより入所の難しさを軽減する方が先じゃないか?

この新しい制度でどのくらいの予算がかかるのか分からないが、それで介護施設をもっと増やす事は出来ないのか。

施設が増えれば雇用も増えるし、それで助かる家族だってきっとたくさんある。

こういうばら撒きの支給をするより施設を増やしたり、介護職の皆さんの待遇を改善したりするほうが大切だと思うんだけど・・・

現実に介護職のお兄さん、「女房子供を食わしていくには厳しいよ」とつぶやいた。

なんだか施設に入居させてるだけで多くの人に対して申し訳ない気がしている今日この頃。

気分を変えて母から言いつけられたTシャツでも買いに行くか・・・

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2010年3月12日 (金)

冬眠から覚めた が・・・

約1ヶ月の冬眠生活からやっと目覚めた。

仕事自体はもう少し早く終わっていたのだが、新たな問題が出来て・・・

87歳の姑に初期の認知症状が発覚。

今年に入って どうも腑に落ちない内容の電話がかかってくるようになって何度か相方と実家に行った。

行ってみるとこれといった大きな問題はなく、年寄りの取り越し苦労なのだろうと笑いながら帰ってきていた。

しかし、今月に入って よくよく観察してみると どうやら認知症の始まりが見え隠れしている。

ご飯を炊くときの水加減が出来ない。

食事の支度をしようにも材料が分からない、材料を並べてやっても使えない。

ストーブの火の調節が出来ない。

炎が上がっていても気が付かない、反対に絞りすぎて不完全燃焼を起こしていても気が付かない。

朝ご飯の後片付けを昼はおろか夕方になっても片付けない。

自分で食べたくなければ食事を作ろうという気が起きない。

要するに一日コタツでボーっとテレビを見ているのである。

このテレビだって面白く見ているかと言えば何を見ているのか分かってはいない。ただ目が見ているだけなのである。

こんな姑ではなかった。 ショックである。

今は相方の兄(独身)と二人暮しだからまだいいが認知症がもっと進めば女手も必要になってくるだろう。

そんなこんなでふと考える。

今は施設にいる母、うちに帰ったら姑以上に何もない毎日が待っている。

1人暮らしで外に出るのが難しいとなれば一日中誰とも話をしないこともきっと多くなる。

人間頭の中に風が吹くことは大切な事。

それでたとえ腹の立つことがあっても、何も考える事のない毎日よりは良いのではないか。

口を開けば家に帰ると言う母、帰ったら頭が動かなくなりそうだ。

買い物もカートを押せば1人で行かれると言い張る母。

今の歩き方では信号が変わるまでに渡りきらないよ。

まあ 希望は残しておこう、生きる張り合いなんだから。

とは言うものの 婆さん2人抱えたらどうすれば良いのか・・・

今の母

体重43.2キロ  地道に増えている。

おかげで風邪を引く事もなく、ある意味私より元気である。

14日には父の墓参りに連れ出そうと思っているので今日は施設に外出届けを出しに行って来た。墓参りをして昼飯を食べさせて夕方には贈り届ける。

今のところお天気は大丈夫そうだが雨になりませんようにと祈る。



今目の前にあることを一つ一つ片付けていくしかないんだもの。

考えまい! 

明日は明日の風が吹く きっと何とかなってゆく。

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2010年2月14日 (日)

お知らせ

管理人ヤモリは季節労働者のため、冬眠しております。3月初旬には復帰の予定。

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2010年2月 9日 (火)

なんとも・・・

先月 母の面会に行って事務所でつかまった。

「お母様の口から 家に帰ったらと言う言葉が頻繁に出るようになりましたが、ご家族としてはどう考えていらっしゃるのでしょう? それによってはお母様より重度の介護が必要な方が沢山いらっしゃいますのでねぇ」と。

一瞬言葉が出なかった。

とうとう来たか この質問。

そうだろうなぁ・・・

入所の時は車椅子に座っていることさえ長い時間は難しかったのに今は自力で歩くし認知症はまったく無い。

しかし、1人で生活が出来るのかといえば それは無理だろう。

じゃあ誰かが同居できるか? これも今は無理(と言うか現実に人が居ない)

・長男 連れ合いは4年前に他界、当人は目が不自由

・長女 姑87歳、他に女手無し

・次男 アルツハイマー要介護3の姑と同居

・次女 遠方在住、現在寝たきりの舅有り

4人いてもこれだもの・・・

ひたすら現状を訴える。

介護度が軽くなって施設入所の条件を満たさなくなれば仕方が無いが、それまでは何とか置いて欲しい。

ただ・・・本人の希望である「家に帰る」は取り上げないでいたい。

いつの日かそれぞれの状況が変わってくれば家に帰っても兄弟が交代で看ることができるかも知れないから。

それがいつになるか、その時自分自身がどうなっているのか。

考えても考えても分からない。

分からない事は考えまい!

明日は明日の風が吹く、きっと何とかなってゆく。

は~るよ来い は~やく来い・・・

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2010年1月 8日 (金)

今の母・2010年1月8日

長い間更新が出来なくて・・・

その間の事情は右側リンクの別館ブログ「猫とヤモリの日々徒然」をご覧いただくとして(別に読んでも面白くもありませんが)。



ギラン・バレー発症から2年が経った。

9月から3ヶ月半も開いてしまった母の記録。

この間に母は随分と足の力が付き、とりあえずトコトコと歩く事が出来るようになった。

施設の生活にも慣れ、花火やコスモスを見に行ったりコーヒーをご馳走になったりで結構楽しく毎日を送っているようだ。

11月には昼間短い間でも実家に戻って思う存分探し物をし、欲しかった物を抱えてご機嫌で施設に戻る事が出来た。

家の中では手摺さえあれば危なげなく歩く事が出来そうだが、なにぶん古い家で手摺をつけることが出来ないので、母はトコトコ勝手に歩きまわるが狭い廊下では見ているほうがハラハラしながら後ろから椅子を持って付いて歩いた。

発症から3年2年(間違った 藁)。良くぞここまで回復したものだと思う。

が・・・

年末、近所の町内会での持ちつきに招待されて訪問した際に階段を登りスロープを降り(もちろん介助付きで支えられながら)したところ両足のふくらはぎが炎症を起こし1週間筋肉痛に悩まされたそうだ。まあ 筋肉がちゃんと反応したと考えれ良い訳で、1週間で回復すれば年の割りに立派なものだ。

そして正月。

この1週間の間に未明の火災警報器が3回鳴って、(もちろん誰かのいたずらでね)一度目には飛び起きて いつもなら出来ないはずのベッドから車椅子への移乗を自力でこなしたそうな。

二度目からは「あぁ またか」と思って動かなかったらしいが、婆ちゃん!狼少年にならないように!

一応起きて頂戴!(笑)

おかげでやっと治った筋肉痛がぶり返したらしくリハビリはちょっと一休み。

とは言うものの今までできなかった事が「やればできた」に進歩したわけで、怪我の功名・棚から牡丹餅(ん?これは違うか 笑)

そんなこんなの3ヶ月、地味に地道に回復はしている。

昨日の話では今日8日は初詣に出かけると言っていた。

ワクチン接種が受けられない母も、巷のインフルエンザが落ち着けば外出ももっと自由に出来るようになるだろうし・・・

暖かくなって花が咲くのを心待ちにしている。

そうそう、体重は42.7キロ、今の私より多い。

私の記憶の中では今が一番ふくよかである。

今年一年楽しい年になりますようにと心から祈る(^-^)

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2009年9月15日 (火)

2年越しの約束

前回母と墓参りに行ったのはちょうど2年前の秋のお彼岸。

それから2ヵ月後、母はギラン・バレー症候群を発症し動けなくなった。

あれから2年、彼岸の墓参りはいつも1人だったが13日の日曜日、彼岸には少し早い墓参りに母を連れて行ってきた。

新宿まで往復3時間、夕食を済ませて施設に送り届けるまで6時間。

施設では長時間のドライブには難色を示していたので、我が家で気分転換をさせて夕食をさせると言って連れ出した。

新宿の墓参りは近所で慣れてからにしたらどうかと言われていた。しかし、時が流れていけばもっと元気になれるかどうか。この先いつになったら連れて行かれるのか、明日は誰にも分からない。

多少の不安はあったものの、今 行かれるうちに行って来てしまえば行っちゃったもの勝ち。

今回は相方と姪っ子が同行してくれたので駐車場の玉砂利や墓までの狭い石畳を何とかクリアできたが、私1人で母を連れて行くのはやはり無理かも知れない。来年も同行者を確保せねば・・・

そして、念願の刺身と天ぷらをやっと食べさせる事が出来た。

刺身・天ぷら・茶碗蒸し・・・2年ぶりの外食。ご飯は半分残したものの他は完食である。

入院していた頃「病院の食事は人間の食べるものじゃない」と言い放った母。

人間の食事って何さ と聞いた私に 刺身と天ぷらと答えた母。

施設暮らしの毎日で「あのとき死んでりゃよかった」と時々つぶやく母。

2年ぶりの刺身と天ぷらは ことのほか美味しかったらしい。

どうよ婆ちゃん、生きててよかったでしょ。

昨日今日は、施設から熱を出したという連絡がきやしないかと ちょっとドキドキだったが 今もって電話がかかってこないところを見ると どうやら無事でいるようだ。

しておきたい事は出来るうちに・・・

やっちゃったもの勝ちだもんね・・・

そうつぶやきながらも こちらの寿命が縮む気がする。

 

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2009年9月 2日 (水)

ウェルキャブGET

1年越しで探していた福祉車両、やっと手に入りそうだ。

VOXYのウェルキャブ  7人乗り セカンドシートが電動で外を向いて下りてくる。

当初の希望は助手席が動く8人乗りだったのだが、今回見逃すと次はいつ出てくるか分からない、7人乗りで手を打つことにした。

年式も希望よりかなり新しく価格も予算の倍近いが、今必要なのだから まぁしょうがない。

これで約束の美味しい刺身と天ぷらを食べに連れて行かれそうだ。

しかし・・・

最近母は施設に居るのが飽きたと言う。

一日テレビを観てるだけではつまらないと言う。

かみ合わない会話が気に入らないと言う。

じゃあどうしろと?

確かに体の自由が利かないだけで認知症状の無い母には施設の暮らしは楽しくは無いのかも知れないが かといって1人暮らしをしていた身 今の状態で家に帰るわけにはいかないのである。

それはご当人も充分理解はしているが、それでも家に帰りたいのだ。

気持ちは分からないではないが 帰るとなれば考えなければならない事が山積で。

なによりも家

玄関の前に車を付ければ電動シートを下ろして車椅子に移乗させるだけの幅は無い

玄関前の石段にスロープをつけたら車が入るだけの幅が無い

玄関内も車椅子を乗り入れるだけの広さはないし上がり框の段差は超えられない

古い平屋で真ん中の廊下を挟んで両側はしっかり独立した部屋、それも襖と障子とドアでは手すりを付けられない 

廊下の幅は三尺(約90センチ弱)なおかつ廊下と部屋の境は段差がある 当然車椅子で直線移動は出来ても各部屋に出入りは出来ない

トイレは奥まっていて車椅子で入れない

ずっと昔の家屋のように隣の部屋との仕切りが襖だったら外してしまえば広い空間も作れただろうが、戦後の高度成長期に立てた中途半端な現代家屋 各部屋の独立性は保たれたものの母1人で生活するようになったら不便な事この上ない。

暖房も冷房も他の部屋まで行き届かないし 部屋を移動するにも戸をあけて廊下に出て戸を閉めて、部屋の戸を開けて部屋に入り戸を閉める(どこの家でもそうだと言われればその通りなのだが 笑)

母が倒れた頃、部屋のテーブルの上にはありとあらゆるものが運び込まれ並べられていた。

理由を聞くと、何か一つ取りに行くたび、または置きに行くたびに 開けて閉めて開けて閉めて、また開けて閉めて開けて閉めて・・・寒いときには部屋の温度差が辛いからと。

リウマチ持ちの高齢者の1人暮らし、まだまだ大丈夫だと思い込んでいたがやはり辛かったようだ。

今、家に戻って生活する事は出来ないが 昼間短い時間でも家で過ごす事が出来るようにしてやりたいと考えてはいるがそうするには家の改造が必要なのである。

だが・・・

施設で車の入れ替えの件を話し、今度の車なら新宿まで父の墓参りに連れ出しても良いかと聞いてみた。往復の時間を聞かれ、多分帰りに昼を食べて戻るまで4時間程だと思うと答えると、腕組みして考え込まれてしまった。しばらくして帰ってきた返事は「その時の体調次第ですね。当分のあいだは近所で食事くらいの所から始めてはどうでしょうねぇ」と。

そうか、やっぱりこちらが考えるほど回復してるわけじゃないのか。

でも、「動けるうちに」とか「帰れるうちに」とかの境目は何時なんだろう?

時が経ったら動けるか?

時が経ったら行かれるか?

時が経ったら帰れるか?

年寄りの元気ってどこまでが元気だ?

万が一、行ってきて体調を崩しても今行かれるうちに行った方が良くは無いか?

年寄りだけじゃない、若くたって明日は分からない・・・

車GETでほっとして書き始めたのになんだか暗くなってきた。

来年の春の彼岸には親父の墓参りに母も行かれますように(願)

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2009年7月25日 (土)

今の母 7・25

5月上旬に39キロまで落ち込んだ体重は、高カロリー飲料の持込で40.7キロまで回復した

とりあえず やれやれである

所内の移動には 歩行器を使ったり車椅子を押しながら歩いたりで、歩く距離を伸ばしているようだ

手首の変形が無ければ 杖での歩行も出来そうだが、なにぶんリウマチで手首に負担はかけられないので車椅子が必須 それでも身の回りのことが自分で出来るようになったのはありがたい

といったところで6月に持ち込んだ夏用の靴、今は履いていない(やっぱり・・・)

エアコンが入ったら足元が涼しいので厚い靴下を履いたらきついと

ばあちゃん・・・  じゃあ夏用の靴は要らないんじゃん?

まぁいいけどさ、そんなことだと思ってた

役所から後期高齢者健康保険被保険者証が届いた

8月1日から新しい物を使うようにと

一緒に入ってきた印刷物には古いものを紺色、新しいものを紫色と色で区別するような内容の文章が書いてある

色?!  紺色?  紫色?

母が倒れてから書類の管理は私がしているが、今までの保険証で色を感じたことは無かった

中の文章は以下の通り

現在お使いの「紺色の被保険者証」につきましては、被保険者証記載の有効期限どおり、本年(平成21年)7月31日をもって、使用できなくなります。つきましては、有効期限が『平成22年7月31日』と記載されております新しい「紫色の被保険者証」をお送りいたしますので、平成21年8月1日以降は、この新しい「紫色の被保険者証」をご使用くださるようお願いいたします。なお、現在ご使用の紺色の被保険者証につきましては、平成21年8月1日以降はご使用できませんので、お住まいの市町村の長寿医療(後期高齢者医療)担当窓口へお返しくださるようお願いいたします。

以上 原文のまま

そして 紺色と紫色

Dscn2497

言われてみれば 紺色っぽいものと紫色っぽいもの・・・

文字を書くにはベースは薄い色でないといけないのだろうが、この色の差 見難くは無いか?

文字は少し大きくなったようだが、色分けするより有効期限の文字をもっとおおきく書いた方が分かりやすくはないか ?

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2009年7月 2日 (木)

車・・・

変わりない毎日の中で 今考えている事

といっても たいそうな事を考えてるわけでもない。

先日 母は施設の車に乗せてもらってスーパーに買い物に行った。

久々に出かけられたことがとても嬉しかったらしく ご機嫌麗しい。

自分で選んで欲しいものを買う、この当たり前の行動が施設暮らしの身には簡単では無いのである。

昨年春 施設入所になった頃に 車椅子で外出できるようになったら 美味しい天ぷらと刺身を食べに連れて行くという約束をしていた。

これが目の前にぶら下げたニンジンでもあった。

これを励みにリハビリをがんばって かろうじて歩けるようにもなった。

しかし・・・

私の車(1BOX)はステップが高くて乗せられそうに無いのである。

昨日、施設で車の乗り降りについて聞いてみたら、母の場合 やはり一人での介助は難しいとのこと、介助は2人いないと万が一の時2人で転倒する危険があると。

言われてみればその通り、介助する私だって傍から見れば婆ちゃんである。

やはり私の車を替えるしかないのか。

かなり前から我が家ではこの話が出ていた。

私の車もそろそろ買い替えの時期でもあるし 今度は介護仕様車をと思ってもいた。

私としては軽の介護仕様車が一番なのだが、孫や娘が来る事を考えると8人乗りの1BOXを無くすわけにはいかず、相方の通勤用の軽ターボ車は絶対手放さないと言う。

さりとて免許証2つに車3台は、税金・保険・駐車場料金を考えればそんな余裕が有るわけも無い。

車椅子がそのまま乗せられるような介護用の1BOX車もあるが、車椅子を乗せると搭乗人数が減る。これはこれで不都合なのである。

それではと1BOXの助手席が介護用に電動で動くように改造された車を探そうと言う事になった。

新車なんて買うことは出来ないので もちろん中古車。

幸いにも相方の仕事の関係で、出てきたら連絡をもらえることになってはいるが・・・

セダンなら結構出てくるらしいが こちらの条件の8人乗りは譲れない。

さて、いつになるやら。

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2009年6月13日 (土)

要介護4

昨年6月に要介護4の認定を受けてから一年

今回の介護認定の結果が出た

今回も要介護4

この一年でかなり回復したと思っていた

今回は介護度が落ちると思っていた

しかし結果は変わらずだった

自分でできる事が少しづつ増えて、母も我々家族も回復を疑ってはいなかった

が・・・

やはり医師や介護職から見れば日常の介護はそれなりに必要だということか

たまに行って数時間話しをするだけだと見えてこない実際の介護

ベッドから車椅子への移乗は出来ない

普通の風呂には入れない

見守りの無い歩行は出来ない

床に座った状態からは立ち上がれない

指の痺れが残っているので握力は強くない

リウマチは一進一退で少しづつ下降気味

膝関節の勾縮は残ったままで回復は難しい

ギラン・バレー症候群のピークの時には身動き一つ出来ないで人工呼吸器云々まで落ち込み 約3ヶ月間寝たきりだったためにその頃の記憶があまりにも強すぎて

今、自分で顔を洗い、身支度を整え、並べられた食事を人の手を借りなくても食べられ、時には他の入居者の世話を焼くほどになったことを喜んでいた

このペースで回復していけば いつか近い将来 介護度が軽くなって家に帰ることも出来るかと思っていた

しかし、高齢者の筋力の回復はかなり難しいようで

一歩引いて冷静に考えればやはり全体的には下降の一途

そんな中

今日、母がご飯を今までのお粥からご飯に変えてもらったという

それで摂取カロリーが80キロカロリー増えるからと

私「そうだね、内臓には問題無いんだから良くかんで食べれば問題ないよ」と答える

母「私の手相は長生きの手相だから」と言う

そこで一言

私「長生きは嬉しいけど金さん銀さん程は生きないでね、私85過ぎて車で通ってくる自信は無いからね」と なんとも親不孝な言葉を吐く

自分自身の老後が妙に現実味を帯びてきた今、冗談ではなく高齢者の長生きをしみじみ考える

団塊の世代、還暦・定年が秒読みで迫っている

どうする?

考えまい  明日は明日の風が吹く

きっと なるようになる!

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2009年6月 9日 (火)

初夏の陽気で靴探し

6月に入り天気はイマイチはっきりしないものの すっかり初夏の陽気

施設に居る母は、空調で温度管理された中に居ても暑いらしい

特に靴

靴の中が暑いから夏用の靴を探して来いと・・・

介護用の夏の靴か

条件1 はき込みの浅いもの

条件2 底がしっかりと固いもの

条件3 滑りにくいもの

条件4 甲高なので調節が出来るもの

条件5 年寄り臭く無いもの

え~~~~?! 年寄りなのに?

と言うことで あちこち探すも なにせ介護用の靴、どれを見てもしっかりくるぶしまで固定されるタイプが多く 暑そうである

以前、布で出来た室内履きのような靴を履かせたら、足の裏がフカフカして歩きにくいからと却下された

かと言って 上履きのようなバレーシューズは甲のゴム調節が出来ないから嫌だし、スニーカーは一人で履くことが出来ないから駄目だと言う

仕方が無い ネットでひたすら検索するも やはり介護用となれば同じような物が多く・・・

そんな中ここで見つけた ナース用の靴

Dscn2307

・はき込みは浅い・甲の調節はゴムとベリベリで調節が出来る

・底は固い・滑りにくい  条件4つはクリアーである

靴底には空気の通り道が作られていて、靴の中に熱気がこもらないように設計されている    

ただし、色物は無くて ほとんどが白を基調として淡い色がアクセント程度に配されている

雨の日に外を歩くのは無理なようだが そんな事はしないのでこれでよかろう(多分 笑)

年寄り臭くないかと言われれば年寄り臭くは無い

が・・・

婆ちゃんに似合うかと言われれば それは・・・

どうだろう ~?

何はともあれ 今のところこれで一つ解決した

そんな中 会話の途中で

「いつ頃うちに帰れるかねぇ、ここで死ぬまでなんて無いよねぇ」と言う

なんと返事したら良いものやら返事に困る

先のことは誰にも分からないもの

「とりあえず、家の中で一人で歩いて不自由の無いようにならないとね」と言葉を濁してごまかす

そろそろ今回の認定審査の結果が出る頃か

母も不安だろうが 周りの人間も不安である

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2009年5月25日 (月)

今の母 5・25テーマ混在

2月に書いたきりになっていた今の母 回復はいたって緩やか

ギラン・バレーの後遺症は 少しづつ、本当に少しづつ回復している

が・・・

3月始めには体重40.5キロとなり、このまま増えていくと足に負担がかかってもいけないと高カロリー飲料の持込を一時ストップした

発病前は34キロ、一時は27キロまで落ちたのだから40キロあれば御の字で、ただでさえリハビリで足に負担がかかるのにあまり体重を増やしてもいけないかと

しかし・・・

4月の体重測定で40キロを下回った

施設の食事、一日熱量は1200キロカロリーだそうだが やっぱり施設の食事だけでは足りないか

と言うより、食事を見てると「辛いと食べられない」「これは好きじゃない」と残す

私が見ていてもそうなのだから、見ていなければもっと怪しい

母の場合、体重を増やすために何を食べてもいい事になっている

同じものを食べてるのにふくよかな人もいる

そんな中 2月の半ばにあった健康診断の結果がやっと手元に来た

血液検査の42項目(すごっ 笑) プラス胸部レントゲン

まぁいくつか数値が基準を外れたものはあるものの、どれも大学病院にいたころから指摘されていたものだし 特に大きく外れているわけでもないし

一応「要精検・胸部CT」とはなっているが本人が乗り気でない以上無理やり検査も出来ないし・・・

回復の速度よりリウマチや老化の速度の方が速いようで・・・

手首の変形は進み傾向

少しの作業で炎症を起こすし首の痛みは相変わらずらしい

そして今月初め 体重は39キロを割りそうである

やはり施設の食事(1200kcal/一日)だけでは体重の維持は難しいらしくまた高カロリー食を運んでいる

相変わらずのこれキューピー ジャネフケア

Rscn2178

今回は前回の6種類にヒアロケア4種類を追加して10種類購入

かぼちゃスープを飲んでみた

この中では見た目も食感(飲み心地)も一番違和感が無いかも知れない

1週間分づつ運んでいるが少しづつ余ってくる

ばあちゃん、飲んでないね・・・

一緒に持ち込んでる高カロリーフードもあまり減ってないし

まぁ これは本人が飲まなければ それはそれで仕方が無い(と思うしかない)

施設利用料金

介護保険の改正で施設利用料金が少し値上がりするようで 契約書の書き換えをした

値上がりは一日あたり38円~40円だそうだが1ヶ月にしても1200円前後

この金額では介護職のみなさんの待遇が良くなるとも思えないが・・・

介護認定更新審査

6月末で有効期間が切れるので、更新の調査があった(らしい 笑)

入所時が要介護5、その2ヶ月後が要介護4

あれから一年 今回の調査ではどんな数字が出てくるか

下がった場合は、一定期間 以前の介護度を適用する事が出来るとある

そういえば 更新審査の申請書といっしょに来た用紙に不思議な項目があった

今回の審査について「希望するものを選べ」とあり

・前回から介護度が下がった場合 前回と同じ介護度を希望するかしないか

・前回から介護度が上がった場合 前回と同じ介護度を希望するかしないか

・前回から上がっても下がっても前回と同じ介護度を希望するするかしないか

何じゃこりゃ~  希望すれば変わるのか? それとも単なる意識調査か?

介護度が上がる=施設利用者は負担金が増えるが在宅介護では使える介護サービスが増える

介護度が下がる=施設利用者は負担金が減るが在宅介護では使える介護サービスが減る

補助金や助成金との兼ね合いもあることだし 上がった方が良いのか下がった方が良いのか 簡単には答えが出ない

要介護5または要介護4と要介護3との差は補助金の有無くらいで 深刻な差は出てこないが

要介護1と要支援2との差は大き過ぎるほど大きい

この春の介護保険制度 改正なのか改悪なのか

役所のすることは どうも解らない

新型インフルエンザ

これのおかげで 今、面会に行っても母の部屋までたどり着けない

受付で声をかけると下のロビーまで連れてきてくれる

だけど・・・

これ、どこまで有効なんだろう?

本当に防ぐのだったら全入居者面会謝絶だろうになぁ・・・(^-^)

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2009年4月 3日 (金)

施設入所から一年

母が老人介護施設に入所してからもうすぐ一年が過ぎようとしている

一年前の母は寝返りも打てず、もちろん自力で座っていることも出来ず

リハビリをするたびに発熱し、体力は消耗する一方だった

病院の相談員さんが探してくれてリハビリ専門病院に転院の予約も取れてはいたのだが、リハビリ専門病院で辛いリハビリをすることが本当に母のためなのか、それとも老人介護施設でゆっくりと毎日を過ごした方がいいのか・・・

高齢の母のことで葛藤の日々だった

リハビリはもっとも大切なことと医師からは言われていたし、本人もリハビリを我慢して受ければ元のようになると信じて頑張ってはいたものの衰弱した体は正直でそれに耐えることはできなかった

病院ではギラン・バレー症候群の、しかもリウマチもちで78歳と高齢のリハビリの経験は無かったらしく、リハビリの度に熱を出す母を少々もてあまし気味だったようで・・・

病院としてはもう治療は無いのだし、入院している以上リハビリでもしないことには色々まずかったのだろうが・・・

まぁ言うまい 言ったところで時間が戻るわけでもない

ぎりぎり短時間ならと車椅子に座ったままの施設入所への移動30分、ちょうど桜の季節だったのに桜が咲いていたのかどうかの記憶さえ無い

今、母に会いに走る同じ道、桜の木がたくさんある

桜、こんなにあったんだ・・・去年の桜の季節はすっぽりと抜け落ちている

そして今の母、手の痺れが残っているし、もともとリウマチで手首の変形が強かったり関節の可動域にかなり不自由なところはあっても、とりあえず自分の身の回りは自分でできるようにまで回復した(多分これ以上の回復は難しいと思われる)

思うようにはならないまでも、手はまあまあである

あとは足の回復を願うが、これがまた難しいことで・・・

生活のほとんどは車椅子に乗ったままではあるが、見守りがあれば十数メートルの歩行が出来るようになっている

歩けると言っても膝の関節の曲がりも伸びも充分でないために車椅子からバーに掴まって立ち上がり、膝が曲がったまま腰も曲がったままでの歩行である

それでもこの一年を振り返れば、よくぞここまで回復したと思う

とは言うものの

回復してくれば、人間贅沢なもので最近ではあれこれ愚痴が増えてきた

施設には認知症の老人も多く入所している

と言うかほとんどが認知の症状を持っていて、会話が少しづつ外れていったり自分の物とひとの物の見分けがつかなかったり

また、誰彼かまわず腕を掴んで放さなかったり突然後ろから他人の頭を叩いたり

そんな些細な事が気になるらしく行くたびに色々私に訴える

訴えられてもなんと答えたらよいものか

今の不満は、各部屋に入り込み物をポケットに入れて持って行ってしまう人が居ることのようで、身の回りのものをことごとく仕舞い込んである

仕舞い込んだところで、あちこち開けまわして物を持って行くわけだから意味が無い

すべての持ち物には名前が付いているので一時無くなっても夕方には介護職のお姉さんが取り返して戻してくれるのだから心配はいらないと話しても納得がいかないらしい

人間長く生きていて認知症の症状が出たときに、どこの回路が消滅してどこの回路が残るかなんて自分自身で選べるわけではないし

傍から見てちょっと迷惑な行動があったとしてもそれはご本人の人格とは別のところで・・・

その辺を理解してあげないとねと答えてみる

まぁそう言ったところで私の話なんか聞いちゃいない

一日中暇なんだからこれをどこに隠しておいたら持って行かれないか考えるのも頭の体操にはなるのか

母からすれば自分の訴えをちっとも親身になって聞かない娘も不満のタネかもしれないけどね

聞いたところでどうにもできないこっちの気持ちも考えようよ

ねぇ婆ちゃん  婆ちゃんったら!

お互いにひとの言う事を聞いてないんだから

お互い様(^-^)

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