2012年5月24日 (木)

トップ固定記事

母のギラン・バレー症候群から始まったドタバタ。

母は4年が経った今では身の回りすべてを自分でこなせるまでに快復しました。

それではと介護保険について少し書こうかと思った矢先の2010年、2歳上の兄の状態が思わしくなくなり 2011年夏にはとうとう左半身が不自由になりました。

いつか来るかと覚悟はしていた母の介護。

まだまだ先で自分には関係しないと思っていた兄の介護。

本当に介護は突然待った無しの形ででやってきました。

このブログもこれからは母と兄と両方を綴っていこうと思っています。

|

2010年5月11日 (火)

介護保険 1

母の発症から2年5ヶ月、介護保険・介護施設を利用した感想と、支給されてくる補助金等について少し書いていこうと思う。

年金から天引き(母の場合)されている介護保険料、意見は様々あるだろうが・・・

もちろんこんな仕組みがなくても家族で介護が出来たり、公の高齢者福祉がしっかり確立されているならそれに越したことはないのだが、実際には税金からの支出が出来ない以上、各自が負担するのは仕方がないこと。支払わなければならないものなら支払うしかない。

年金からの天引きが不満だと抗議する動きもあるようだが、支払わなければならないなら天引きの方が手間は省ける。(そう思っているのは私だけか?)

後は集めた保険料を間違いなく高齢者の福祉に充てて欲しいと思う。

母に介護が必要になってから2年5ヶ月。

役所の遅々として進まない手続きや対応に腹の立つことも多かったし、行き先の見えない日々は本当に不安だらけだった。

今振り返ってみれば介護保険の仕組みをもっと前からちゃんと知っておけばよかったと思うが、政府からの説明の分かりにくさはなんとかならないものか。(と言うか 実際に介護が必要になってからでないと詳細を知るのは難しい)

実際にはどんなものなのかと「介護保険法」を読んでみた。作った役人の頭が良すぎるのか はたまた自分の理解力が無いのか、ちっとも解らない。

あれやこれやと色々読み漁り、やっと分かった後期高齢者医療保険と介護保険のできた経緯と仕組み。

昭和35年に自治体レベルで実施されていた70歳以上の老人医療無料化が昭和48年に国保レベルになったが 10年後の昭和58年に老人医療が急増して国保の運営が難しくなったために 老人保健法(老健法)を制定し患者負担を導入。運営主体は市町村で国保・健保からの拠出金工費で運営した。

さらに高齢化が進み健保組合の収入に対する高齢者医療費が昭和58年の13%から平成11年には40%に増大した為に、97%の健保組合が老人保健料の拠出を拒否する不払い運動が起きる事態となった。このことを受け 平成12年 老健制度を廃止して新たな制度をつくることが決議され 2年後の平成14年 新制度がまとまらないまま、・一部負担金を定率一割・老健制度の対象年齢を上げたり公費負担割合を引き上げる等の案が出る。昭和58年の老人保健法制定から10年以上に渡る議論の末、平成18年 後期高齢者医療制度となった。

また昭和35年の老人医療無料化に伴い 病院のサロン化や自宅介護の難しさからの社会的入院等の問題も表面化し、平成9年 介護を必要とする人を社会全体で支える仕組みとしての介護保険制度が成立し 平成12年4月に施行された。

こう書くといかにも高齢者にありがたい制度を新たに作り出したように聞こえるが、要するに高齢者が増えて健康保険の枠組みでは医療費がかかりすぎるので高齢者の介護部分を医療費から切り離し、新たに介護保険制度を作って若い人からも保険料を徴収しての高齢者対策をしたわけだ。

そして5年後の平成17年 介護保険法が改正され 平成18年から新しい介護保険制度がスタートし 平成21年 介護報酬・要介護認定システムの一部が改正され 現在の介護保険制度になった。

この改正によりそれまで6区分だった介護度区分を7区分にした。つまり軽介護度の高齢者が急激に増加したために 要支援と要介護1を統合して見直し、要支援1と2を「介護予防サービス」対象、要介護1~5を「介護サービス」対象とした。このことによってそれまで要介護1で介護サービスを利用していた人の中から要支援に変わり「介護サービス」から切り離される人も出た。

ここまでが現在の介護保険制度が出来た経緯。

さて、これからの内容がややこしい。

介護保険関連サービスでは65歳以上の高齢者を大きく4つに区分。

1.「元気な高齢者(一般高齢者)」

2.「虚弱な高齢者(特定高齢者)」

3.「介護予防が必要な高齢者(要支援高齢者)」[要支援1・2]

4.「介護が必要な高齢者(要介護高齢者)」[要介護1~5]

このうち1と2は介護保険対象外の為 自治体の高齢者サービスや、自治体独自のサービスを受ける事となり、3と4が介護保険利用の対象となるが3の要支援高齢者に対しては介護予防サービスとなる。

この改正によって新たに出来たものが「地域包括支援センター」・「介護保険3施設(特養・老健・介護療養型施設)の利用者負担金」・「地域密着型サービス」

高齢者の介護や健康管理(介護予防)に関して全体的に支援するのが「地域包括支援センター」で市町村の人口概ね2~3万人ごとに1ヶ所設置される。実際に介護保険関連のサービスを利用するには各センターのケアマネージャーと相談しで計画を練ることになる。

(我が市では人口13万人に対して現在5件のセンター有り)

1・2・3・4各々の利用できるサービスと各用語の詳細については、順次詳しく説明していこうと思うが、どこまで出来るか・・・



つづく

| | コメント (0)

2010年4月 2日 (金)

高齢者に新しい補助金?

高額介護合算療養費・(高額医療合算介護(予防)サービス費)

↑原文のまま。

なんとも長ったらしい名前の給付金支給申請書が届いた。

長寿医療制度の加入者の皆さまへのお知らせです からはじまる説明文、一度や二度読んでも何の事だか分からない。難しいなぁ役所の文章・・・

要するに医療保険で支払った金額と介護保険で支払った金額を合わせて一定額を超えた分を返してあげるから申請してねってことらしい。

合算の対象は20年4月から21年7月までの分。

16ヶ月って なんか半端な月数だと思ったら、制度の開始が20年4月からで医療保険の切り替えが8月1日だから20年4月から21年7月までの分だって。

ふ~ん、一昨年の4月開始で昨年の7月までの分の申請が今なんだ・・・

くれるって言うんだからなんでもいいけど、なんでくれるの?

国の予算って無いんじゃなかったっけ?

今までだって医療費はポツリポツリと(数十円だったりもするけど 笑)返ってきてるし、補助金や助成金も受け取ってる。

まだ返してくれるの?

介護保険料と後期高齢者医療保険料が余ってるのか?




ということで、施設に居る母の生活費は またまた低くなる。

今施設に払い込んでいる金額は月に52000円程、しかし 要介護4での高額介護補助金で施設利用負担金の限度額15000円を超えた分が支給され さらにその限度額でさえも介護保険利用促進助成金で半額の分7500円が支給されるので

・利用者負担金が最終的には7500円

・居住費が320×31で9920円

・食費が390×31で12090円

     合計  29510円

様々な介護の加算は介護保険から施設に直接支払われ、個人負担は無い。

そこに約4000円/月が支給されることになれば1ヶ月の実質費用は25000円程になる。

そりゃあね もちろん支給してくれるなら受け取るけど、そんなにしてくれなくてもいいのになぁ。

一ケ月の施設利用料と医療費が年金で賄えれば生きては行かれる。

基礎年金が66000円くらいなら医療費と合わせてそのくらいの費用負担はしてもいいんじゃないかなぁ。

そんな事に使うより入所の難しさを軽減する方が先じゃないか?

この新しい制度でどのくらいの予算がかかるのか分からないが、それで介護施設をもっと増やす事は出来ないのか。

施設が増えれば雇用も増えるし、それで助かる家族だってきっとたくさんある。

こういうばら撒きの支給をするより施設を増やしたり、介護職の皆さんの待遇を改善したりするほうが大切だと思うんだけど・・・

現実に介護職のお兄さん、「女房子供を食わしていくには厳しいよ」とつぶやいた。

なんだか施設に入居させてるだけで多くの人に対して申し訳ない気がしている今日この頃。

気分を変えて母から言いつけられたTシャツでも買いに行くか・・・

| | コメント (4)

2010年3月12日 (金)

冬眠から覚めた が・・・

約1ヶ月の冬眠生活からやっと目覚めた。

仕事自体はもう少し早く終わっていたのだが、新たな問題が出来て・・・

87歳の姑に初期の認知症状が発覚。

今年に入って どうも腑に落ちない内容の電話がかかってくるようになって何度か相方と実家に行った。

行ってみるとこれといった大きな問題はなく、年寄りの取り越し苦労なのだろうと笑いながら帰ってきていた。

しかし、今月に入って よくよく観察してみると どうやら認知症の始まりが見え隠れしている。

ご飯を炊くときの水加減が出来ない。

食事の支度をしようにも材料が分からない、材料を並べてやっても使えない。

ストーブの火の調節が出来ない。

炎が上がっていても気が付かない、反対に絞りすぎて不完全燃焼を起こしていても気が付かない。

朝ご飯の後片付けを昼はおろか夕方になっても片付けない。

自分で食べたくなければ食事を作ろうという気が起きない。

要するに一日コタツでボーっとテレビを見ているのである。

このテレビだって面白く見ているかと言えば何を見ているのか分かってはいない。ただ目が見ているだけなのである。

こんな姑ではなかった。 ショックである。

今は相方の兄(独身)と二人暮しだからまだいいが認知症がもっと進めば女手も必要になってくるだろう。

そんなこんなでふと考える。

今は施設にいる母、うちに帰ったら姑以上に何もない毎日が待っている。

1人暮らしで外に出るのが難しいとなれば一日中誰とも話をしないこともきっと多くなる。

人間頭の中に風が吹くことは大切な事。

それでたとえ腹の立つことがあっても、何も考える事のない毎日よりは良いのではないか。

口を開けば家に帰ると言う母、帰ったら頭が動かなくなりそうだ。

買い物もカートを押せば1人で行かれると言い張る母。

今の歩き方では信号が変わるまでに渡りきらないよ。

まあ 希望は残しておこう、生きる張り合いなんだから。

とは言うものの 婆さん2人抱えたらどうすれば良いのか・・・

今の母

体重43.2キロ  地道に増えている。

おかげで風邪を引く事もなく、ある意味私より元気である。

14日には父の墓参りに連れ出そうと思っているので今日は施設に外出届けを出しに行って来た。墓参りをして昼飯を食べさせて夕方には贈り届ける。

今のところお天気は大丈夫そうだが雨になりませんようにと祈る。



今目の前にあることを一つ一つ片付けていくしかないんだもの。

考えまい! 

明日は明日の風が吹く きっと何とかなってゆく。

| | コメント (2)

2010年2月14日 (日)

お知らせ

管理人ヤモリは季節労働者のため、冬眠しております。3月初旬には復帰の予定。

|

2010年2月 9日 (火)

なんとも・・・

先月 母の面会に行って事務所でつかまった。

「お母様の口から 家に帰ったらと言う言葉が頻繁に出るようになりましたが、ご家族としてはどう考えていらっしゃるのでしょう? それによってはお母様より重度の介護が必要な方が沢山いらっしゃいますのでねぇ」と。

一瞬言葉が出なかった。

とうとう来たか この質問。

そうだろうなぁ・・・

入所の時は車椅子に座っていることさえ長い時間は難しかったのに今は自力で歩くし認知症はまったく無い。

しかし、1人で生活が出来るのかといえば それは無理だろう。

じゃあ誰かが同居できるか? これも今は無理(と言うか現実に人が居ない)

・長男 連れ合いは4年前に他界、当人は目が不自由

・長女 姑87歳、他に女手無し

・次男 アルツハイマー要介護3の姑と同居

・次女 遠方在住、現在寝たきりの舅有り

4人いてもこれだもの・・・

ひたすら現状を訴える。

介護度が軽くなって施設入所の条件を満たさなくなれば仕方が無いが、それまでは何とか置いて欲しい。

ただ・・・本人の希望である「家に帰る」は取り上げないでいたい。

いつの日かそれぞれの状況が変わってくれば家に帰っても兄弟が交代で看ることができるかも知れないから。

それがいつになるか、その時自分自身がどうなっているのか。

考えても考えても分からない。

分からない事は考えまい!

明日は明日の風が吹く、きっと何とかなってゆく。

は~るよ来い は~やく来い・・・

| | コメント (2)

2010年1月 8日 (金)

今の母・2010年1月8日

長い間更新が出来なくて・・・

その間の事情は右側リンクの別館ブログ「猫とヤモリの日々徒然」をご覧いただくとして(別に読んでも面白くもありませんが)。



ギラン・バレー発症から2年が経った。

9月から3ヶ月半も開いてしまった母の記録。

この間に母は随分と足の力が付き、とりあえずトコトコと歩く事が出来るようになった。

施設の生活にも慣れ、花火やコスモスを見に行ったりコーヒーをご馳走になったりで結構楽しく毎日を送っているようだ。

11月には昼間短い間でも実家に戻って思う存分探し物をし、欲しかった物を抱えてご機嫌で施設に戻る事が出来た。

家の中では手摺さえあれば危なげなく歩く事が出来そうだが、なにぶん古い家で手摺をつけることが出来ないので、母はトコトコ勝手に歩きまわるが狭い廊下では見ているほうがハラハラしながら後ろから椅子を持って付いて歩いた。

発症から3年2年(間違った 藁)。良くぞここまで回復したものだと思う。

が・・・

年末、近所の町内会での持ちつきに招待されて訪問した際に階段を登りスロープを降り(もちろん介助付きで支えられながら)したところ両足のふくらはぎが炎症を起こし1週間筋肉痛に悩まされたそうだ。まあ 筋肉がちゃんと反応したと考えれ良い訳で、1週間で回復すれば年の割りに立派なものだ。

そして正月。

この1週間の間に未明の火災警報器が3回鳴って、(もちろん誰かのいたずらでね)一度目には飛び起きて いつもなら出来ないはずのベッドから車椅子への移乗を自力でこなしたそうな。

二度目からは「あぁ またか」と思って動かなかったらしいが、婆ちゃん!狼少年にならないように!

一応起きて頂戴!(笑)

おかげでやっと治った筋肉痛がぶり返したらしくリハビリはちょっと一休み。

とは言うものの今までできなかった事が「やればできた」に進歩したわけで、怪我の功名・棚から牡丹餅(ん?これは違うか 笑)

そんなこんなの3ヶ月、地味に地道に回復はしている。

昨日の話では今日8日は初詣に出かけると言っていた。

ワクチン接種が受けられない母も、巷のインフルエンザが落ち着けば外出ももっと自由に出来るようになるだろうし・・・

暖かくなって花が咲くのを心待ちにしている。

そうそう、体重は42.7キロ、今の私より多い。

私の記憶の中では今が一番ふくよかである。

今年一年楽しい年になりますようにと心から祈る(^-^)

| | コメント (4)

2009年9月15日 (火)

2年越しの約束

前回母と墓参りに行ったのはちょうど2年前の秋のお彼岸。

それから2ヵ月後、母はギラン・バレー症候群を発症し動けなくなった。

あれから2年、彼岸の墓参りはいつも1人だったが13日の日曜日、彼岸には少し早い墓参りに母を連れて行ってきた。

新宿まで往復3時間、夕食を済ませて施設に送り届けるまで6時間。

施設では長時間のドライブには難色を示していたので、我が家で気分転換をさせて夕食をさせると言って連れ出した。

新宿の墓参りは近所で慣れてからにしたらどうかと言われていた。しかし、時が流れていけばもっと元気になれるかどうか。この先いつになったら連れて行かれるのか、明日は誰にも分からない。

多少の不安はあったものの、今 行かれるうちに行って来てしまえば行っちゃったもの勝ち。

今回は相方と姪っ子が同行してくれたので駐車場の玉砂利や墓までの狭い石畳を何とかクリアできたが、私1人で母を連れて行くのはやはり無理かも知れない。来年も同行者を確保せねば・・・

そして、念願の刺身と天ぷらをやっと食べさせる事が出来た。

刺身・天ぷら・茶碗蒸し・・・2年ぶりの外食。ご飯は半分残したものの他は完食である。

入院していた頃「病院の食事は人間の食べるものじゃない」と言い放った母。

人間の食事って何さ と聞いた私に 刺身と天ぷらと答えた母。

施設暮らしの毎日で「あのとき死んでりゃよかった」と時々つぶやく母。

2年ぶりの刺身と天ぷらは ことのほか美味しかったらしい。

どうよ婆ちゃん、生きててよかったでしょ。

昨日今日は、施設から熱を出したという連絡がきやしないかと ちょっとドキドキだったが 今もって電話がかかってこないところを見ると どうやら無事でいるようだ。

しておきたい事は出来るうちに・・・

やっちゃったもの勝ちだもんね・・・

そうつぶやきながらも こちらの寿命が縮む気がする。

 

| | コメント (2)

2009年9月 2日 (水)

ウェルキャブGET

1年越しで探していた福祉車両、やっと手に入りそうだ。

VOXYのウェルキャブ  7人乗り セカンドシートが電動で外を向いて下りてくる。

当初の希望は助手席が動く8人乗りだったのだが、今回見逃すと次はいつ出てくるか分からない、7人乗りで手を打つことにした。

年式も希望よりかなり新しく価格も予算の倍近いが、今必要なのだから まぁしょうがない。

これで約束の美味しい刺身と天ぷらを食べに連れて行かれそうだ。

しかし・・・

最近母は施設に居るのが飽きたと言う。

一日テレビを観てるだけではつまらないと言う。

かみ合わない会話が気に入らないと言う。

じゃあどうしろと?

確かに体の自由が利かないだけで認知症状の無い母には施設の暮らしは楽しくは無いのかも知れないが かといって1人暮らしをしていた身 今の状態で家に帰るわけにはいかないのである。

それはご当人も充分理解はしているが、それでも家に帰りたいのだ。

気持ちは分からないではないが 帰るとなれば考えなければならない事が山積で。

なによりも家

玄関の前に車を付ければ電動シートを下ろして車椅子に移乗させるだけの幅は無い

玄関前の石段にスロープをつけたら車が入るだけの幅が無い

玄関内も車椅子を乗り入れるだけの広さはないし上がり框の段差は超えられない

古い平屋で真ん中の廊下を挟んで両側はしっかり独立した部屋、それも襖と障子とドアでは手すりを付けられない 

廊下の幅は三尺(約90センチ弱)なおかつ廊下と部屋の境は段差がある 当然車椅子で直線移動は出来ても各部屋に出入りは出来ない

トイレは奥まっていて車椅子で入れない

ずっと昔の家屋のように隣の部屋との仕切りが襖だったら外してしまえば広い空間も作れただろうが、戦後の高度成長期に立てた中途半端な現代家屋 各部屋の独立性は保たれたものの母1人で生活するようになったら不便な事この上ない。

暖房も冷房も他の部屋まで行き届かないし 部屋を移動するにも戸をあけて廊下に出て戸を閉めて、部屋の戸を開けて部屋に入り戸を閉める(どこの家でもそうだと言われればその通りなのだが 笑)

母が倒れた頃、部屋のテーブルの上にはありとあらゆるものが運び込まれ並べられていた。

理由を聞くと、何か一つ取りに行くたび、または置きに行くたびに 開けて閉めて開けて閉めて、また開けて閉めて開けて閉めて・・・寒いときには部屋の温度差が辛いからと。

リウマチ持ちの高齢者の1人暮らし、まだまだ大丈夫だと思い込んでいたがやはり辛かったようだ。

今、家に戻って生活する事は出来ないが 昼間短い時間でも家で過ごす事が出来るようにしてやりたいと考えてはいるがそうするには家の改造が必要なのである。

だが・・・

施設で車の入れ替えの件を話し、今度の車なら新宿まで父の墓参りに連れ出しても良いかと聞いてみた。往復の時間を聞かれ、多分帰りに昼を食べて戻るまで4時間程だと思うと答えると、腕組みして考え込まれてしまった。しばらくして帰ってきた返事は「その時の体調次第ですね。当分のあいだは近所で食事くらいの所から始めてはどうでしょうねぇ」と。

そうか、やっぱりこちらが考えるほど回復してるわけじゃないのか。

でも、「動けるうちに」とか「帰れるうちに」とかの境目は何時なんだろう?

時が経ったら動けるか?

時が経ったら行かれるか?

時が経ったら帰れるか?

年寄りの元気ってどこまでが元気だ?

万が一、行ってきて体調を崩しても今行かれるうちに行った方が良くは無いか?

年寄りだけじゃない、若くたって明日は分からない・・・

車GETでほっとして書き始めたのになんだか暗くなってきた。

来年の春の彼岸には親父の墓参りに母も行かれますように(願)

| | コメント (2)

2009年7月25日 (土)

今の母 7・25

5月上旬に39キロまで落ち込んだ体重は、高カロリー飲料の持込で40.7キロまで回復した

とりあえず やれやれである

所内の移動には 歩行器を使ったり車椅子を押しながら歩いたりで、歩く距離を伸ばしているようだ

手首の変形が無ければ 杖での歩行も出来そうだが、なにぶんリウマチで手首に負担はかけられないので車椅子が必須 それでも身の回りのことが自分で出来るようになったのはありがたい

といったところで6月に持ち込んだ夏用の靴、今は履いていない(やっぱり・・・)

エアコンが入ったら足元が涼しいので厚い靴下を履いたらきついと

ばあちゃん・・・  じゃあ夏用の靴は要らないんじゃん?

まぁいいけどさ、そんなことだと思ってた

役所から後期高齢者健康保険被保険者証が届いた

8月1日から新しい物を使うようにと

一緒に入ってきた印刷物には古いものを紺色、新しいものを紫色と色で区別するような内容の文章が書いてある

色?!  紺色?  紫色?

母が倒れてから書類の管理は私がしているが、今までの保険証で色を感じたことは無かった

中の文章は以下の通り

現在お使いの「紺色の被保険者証」につきましては、被保険者証記載の有効期限どおり、本年(平成21年)7月31日をもって、使用できなくなります。つきましては、有効期限が『平成22年7月31日』と記載されております新しい「紫色の被保険者証」をお送りいたしますので、平成21年8月1日以降は、この新しい「紫色の被保険者証」をご使用くださるようお願いいたします。なお、現在ご使用の紺色の被保険者証につきましては、平成21年8月1日以降はご使用できませんので、お住まいの市町村の長寿医療(後期高齢者医療)担当窓口へお返しくださるようお願いいたします。

以上 原文のまま

そして 紺色と紫色

Dscn2497

言われてみれば 紺色っぽいものと紫色っぽいもの・・・

文字を書くにはベースは薄い色でないといけないのだろうが、この色の差 見難くは無いか?

文字は少し大きくなったようだが、色分けするより有効期限の文字をもっとおおきく書いた方が分かりやすくはないか ?

| | コメント (0)

2009年7月 2日 (木)

車・・・

変わりない毎日の中で 今考えている事

といっても たいそうな事を考えてるわけでもない。

先日 母は施設の車に乗せてもらってスーパーに買い物に行った。

久々に出かけられたことがとても嬉しかったらしく ご機嫌麗しい。

自分で選んで欲しいものを買う、この当たり前の行動が施設暮らしの身には簡単では無いのである。

昨年春 施設入所になった頃に 車椅子で外出できるようになったら 美味しい天ぷらと刺身を食べに連れて行くという約束をしていた。

これが目の前にぶら下げたニンジンでもあった。

これを励みにリハビリをがんばって かろうじて歩けるようにもなった。

しかし・・・

私の車(1BOX)はステップが高くて乗せられそうに無いのである。

昨日、施設で車の乗り降りについて聞いてみたら、母の場合 やはり一人での介助は難しいとのこと、介助は2人いないと万が一の時2人で転倒する危険があると。

言われてみればその通り、介助する私だって傍から見れば婆ちゃんである。

やはり私の車を替えるしかないのか。

かなり前から我が家ではこの話が出ていた。

私の車もそろそろ買い替えの時期でもあるし 今度は介護仕様車をと思ってもいた。

私としては軽の介護仕様車が一番なのだが、孫や娘が来る事を考えると8人乗りの1BOXを無くすわけにはいかず、相方の通勤用の軽ターボ車は絶対手放さないと言う。

さりとて免許証2つに車3台は、税金・保険・駐車場料金を考えればそんな余裕が有るわけも無い。

車椅子がそのまま乗せられるような介護用の1BOX車もあるが、車椅子を乗せると搭乗人数が減る。これはこれで不都合なのである。

それではと1BOXの助手席が介護用に電動で動くように改造された車を探そうと言う事になった。

新車なんて買うことは出来ないので もちろん中古車。

幸いにも相方の仕事の関係で、出てきたら連絡をもらえることになってはいるが・・・

セダンなら結構出てくるらしいが こちらの条件の8人乗りは譲れない。

さて、いつになるやら。

| | コメント (2)

2009年6月13日 (土)

要介護4

昨年6月に要介護4の認定を受けてから一年

今回の介護認定の結果が出た

今回も要介護4

この一年でかなり回復したと思っていた

今回は介護度が落ちると思っていた

しかし結果は変わらずだった

自分でできる事が少しづつ増えて、母も我々家族も回復を疑ってはいなかった

が・・・

やはり医師や介護職から見れば日常の介護はそれなりに必要だということか

たまに行って数時間話しをするだけだと見えてこない実際の介護

ベッドから車椅子への移乗は出来ない

普通の風呂には入れない

見守りの無い歩行は出来ない

床に座った状態からは立ち上がれない

指の痺れが残っているので握力は強くない

リウマチは一進一退で少しづつ下降気味

膝関節の勾縮は残ったままで回復は難しい

ギラン・バレー症候群のピークの時には身動き一つ出来ないで人工呼吸器云々まで落ち込み 約3ヶ月間寝たきりだったためにその頃の記憶があまりにも強すぎて

今、自分で顔を洗い、身支度を整え、並べられた食事を人の手を借りなくても食べられ、時には他の入居者の世話を焼くほどになったことを喜んでいた

このペースで回復していけば いつか近い将来 介護度が軽くなって家に帰ることも出来るかと思っていた

しかし、高齢者の筋力の回復はかなり難しいようで

一歩引いて冷静に考えればやはり全体的には下降の一途

そんな中

今日、母がご飯を今までのお粥からご飯に変えてもらったという

それで摂取カロリーが80キロカロリー増えるからと

私「そうだね、内臓には問題無いんだから良くかんで食べれば問題ないよ」と答える

母「私の手相は長生きの手相だから」と言う

そこで一言

私「長生きは嬉しいけど金さん銀さん程は生きないでね、私85過ぎて車で通ってくる自信は無いからね」と なんとも親不孝な言葉を吐く

自分自身の老後が妙に現実味を帯びてきた今、冗談ではなく高齢者の長生きをしみじみ考える

団塊の世代、還暦・定年が秒読みで迫っている

どうする?

考えまい  明日は明日の風が吹く

きっと なるようになる!

| | コメント (0)

2009年6月 9日 (火)

初夏の陽気で靴探し

6月に入り天気はイマイチはっきりしないものの すっかり初夏の陽気

施設に居る母は、空調で温度管理された中に居ても暑いらしい

特に靴

靴の中が暑いから夏用の靴を探して来いと・・・

介護用の夏の靴か

条件1 はき込みの浅いもの

条件2 底がしっかりと固いもの

条件3 滑りにくいもの

条件4 甲高なので調節が出来るもの

条件5 年寄り臭く無いもの

え~~~~?! 年寄りなのに?

と言うことで あちこち探すも なにせ介護用の靴、どれを見てもしっかりくるぶしまで固定されるタイプが多く 暑そうである

以前、布で出来た室内履きのような靴を履かせたら、足の裏がフカフカして歩きにくいからと却下された

かと言って 上履きのようなバレーシューズは甲のゴム調節が出来ないから嫌だし、スニーカーは一人で履くことが出来ないから駄目だと言う

仕方が無い ネットでひたすら検索するも やはり介護用となれば同じような物が多く・・・

そんな中ここで見つけた ナース用の靴

Dscn2307

・はき込みは浅い・甲の調節はゴムとベリベリで調節が出来る

・底は固い・滑りにくい  条件4つはクリアーである

靴底には空気の通り道が作られていて、靴の中に熱気がこもらないように設計されている    

ただし、色物は無くて ほとんどが白を基調として淡い色がアクセント程度に配されている

雨の日に外を歩くのは無理なようだが そんな事はしないのでこれでよかろう(多分 笑)

年寄り臭くないかと言われれば年寄り臭くは無い

が・・・

婆ちゃんに似合うかと言われれば それは・・・

どうだろう ~?

何はともあれ 今のところこれで一つ解決した

そんな中 会話の途中で

「いつ頃うちに帰れるかねぇ、ここで死ぬまでなんて無いよねぇ」と言う

なんと返事したら良いものやら返事に困る

先のことは誰にも分からないもの

「とりあえず、家の中で一人で歩いて不自由の無いようにならないとね」と言葉を濁してごまかす

そろそろ今回の認定審査の結果が出る頃か

母も不安だろうが 周りの人間も不安である

| | コメント (2)

2009年5月25日 (月)

今の母 5・25テーマ混在

2月に書いたきりになっていた今の母 回復はいたって緩やか

ギラン・バレーの後遺症は 少しづつ、本当に少しづつ回復している

が・・・

3月始めには体重40.5キロとなり、このまま増えていくと足に負担がかかってもいけないと高カロリー飲料の持込を一時ストップした

発病前は34キロ、一時は27キロまで落ちたのだから40キロあれば御の字で、ただでさえリハビリで足に負担がかかるのにあまり体重を増やしてもいけないかと

しかし・・・

4月の体重測定で40キロを下回った

施設の食事、一日熱量は1200キロカロリーだそうだが やっぱり施設の食事だけでは足りないか

と言うより、食事を見てると「辛いと食べられない」「これは好きじゃない」と残す

私が見ていてもそうなのだから、見ていなければもっと怪しい

母の場合、体重を増やすために何を食べてもいい事になっている

同じものを食べてるのにふくよかな人もいる

そんな中 2月の半ばにあった健康診断の結果がやっと手元に来た

血液検査の42項目(すごっ 笑) プラス胸部レントゲン

まぁいくつか数値が基準を外れたものはあるものの、どれも大学病院にいたころから指摘されていたものだし 特に大きく外れているわけでもないし

一応「要精検・胸部CT」とはなっているが本人が乗り気でない以上無理やり検査も出来ないし・・・

回復の速度よりリウマチや老化の速度の方が速いようで・・・

手首の変形は進み傾向

少しの作業で炎症を起こすし首の痛みは相変わらずらしい

そして今月初め 体重は39キロを割りそうである

やはり施設の食事(1200kcal/一日)だけでは体重の維持は難しいらしくまた高カロリー食を運んでいる

相変わらずのこれキューピー ジャネフケア

Rscn2178

今回は前回の6種類にヒアロケア4種類を追加して10種類購入

かぼちゃスープを飲んでみた

この中では見た目も食感(飲み心地)も一番違和感が無いかも知れない

1週間分づつ運んでいるが少しづつ余ってくる

ばあちゃん、飲んでないね・・・

一緒に持ち込んでる高カロリーフードもあまり減ってないし

まぁ これは本人が飲まなければ それはそれで仕方が無い(と思うしかない)

施設利用料金

介護保険の改正で施設利用料金が少し値上がりするようで 契約書の書き換えをした

値上がりは一日あたり38円~40円だそうだが1ヶ月にしても1200円前後

この金額では介護職のみなさんの待遇が良くなるとも思えないが・・・

介護認定更新審査

6月末で有効期間が切れるので、更新の調査があった(らしい 笑)

入所時が要介護5、その2ヶ月後が要介護4

あれから一年 今回の調査ではどんな数字が出てくるか

下がった場合は、一定期間 以前の介護度を適用する事が出来るとある

そういえば 更新審査の申請書といっしょに来た用紙に不思議な項目があった

今回の審査について「希望するものを選べ」とあり

・前回から介護度が下がった場合 前回と同じ介護度を希望するかしないか

・前回から介護度が上がった場合 前回と同じ介護度を希望するかしないか

・前回から上がっても下がっても前回と同じ介護度を希望するするかしないか

何じゃこりゃ~  希望すれば変わるのか? それとも単なる意識調査か?

介護度が上がる=施設利用者は負担金が増えるが在宅介護では使える介護サービスが増える

介護度が下がる=施設利用者は負担金が減るが在宅介護では使える介護サービスが減る

補助金や助成金との兼ね合いもあることだし 上がった方が良いのか下がった方が良いのか 簡単には答えが出ない

要介護5または要介護4と要介護3との差は補助金の有無くらいで 深刻な差は出てこないが

要介護1と要支援2との差は大き過ぎるほど大きい

この春の介護保険制度 改正なのか改悪なのか

役所のすることは どうも解らない

新型インフルエンザ

これのおかげで 今、面会に行っても母の部屋までたどり着けない

受付で声をかけると下のロビーまで連れてきてくれる

だけど・・・

これ、どこまで有効なんだろう?

本当に防ぐのだったら全入居者面会謝絶だろうになぁ・・・(^-^)

| | コメント (0)

2009年4月 3日 (金)

施設入所から一年

母が老人介護施設に入所してからもうすぐ一年が過ぎようとしている

一年前の母は寝返りも打てず、もちろん自力で座っていることも出来ず

リハビリをするたびに発熱し、体力は消耗する一方だった

病院の相談員さんが探してくれてリハビリ専門病院に転院の予約も取れてはいたのだが、リハビリ専門病院で辛いリハビリをすることが本当に母のためなのか、それとも老人介護施設でゆっくりと毎日を過ごした方がいいのか・・・

高齢の母のことで葛藤の日々だった

リハビリはもっとも大切なことと医師からは言われていたし、本人もリハビリを我慢して受ければ元のようになると信じて頑張ってはいたものの衰弱した体は正直でそれに耐えることはできなかった

病院ではギラン・バレー症候群の、しかもリウマチもちで78歳と高齢のリハビリの経験は無かったらしく、リハビリの度に熱を出す母を少々もてあまし気味だったようで・・・

病院としてはもう治療は無いのだし、入院している以上リハビリでもしないことには色々まずかったのだろうが・・・

まぁ言うまい 言ったところで時間が戻るわけでもない

ぎりぎり短時間ならと車椅子に座ったままの施設入所への移動30分、ちょうど桜の季節だったのに桜が咲いていたのかどうかの記憶さえ無い

今、母に会いに走る同じ道、桜の木がたくさんある

桜、こんなにあったんだ・・・去年の桜の季節はすっぽりと抜け落ちている

そして今の母、手の痺れが残っているし、もともとリウマチで手首の変形が強かったり関節の可動域にかなり不自由なところはあっても、とりあえず自分の身の回りは自分でできるようにまで回復した(多分これ以上の回復は難しいと思われる)

思うようにはならないまでも、手はまあまあである

あとは足の回復を願うが、これがまた難しいことで・・・

生活のほとんどは車椅子に乗ったままではあるが、見守りがあれば十数メートルの歩行が出来るようになっている

歩けると言っても膝の関節の曲がりも伸びも充分でないために車椅子からバーに掴まって立ち上がり、膝が曲がったまま腰も曲がったままでの歩行である

それでもこの一年を振り返れば、よくぞここまで回復したと思う

とは言うものの

回復してくれば、人間贅沢なもので最近ではあれこれ愚痴が増えてきた

施設には認知症の老人も多く入所している

と言うかほとんどが認知の症状を持っていて、会話が少しづつ外れていったり自分の物とひとの物の見分けがつかなかったり

また、誰彼かまわず腕を掴んで放さなかったり突然後ろから他人の頭を叩いたり

そんな些細な事が気になるらしく行くたびに色々私に訴える

訴えられてもなんと答えたらよいものか

今の不満は、各部屋に入り込み物をポケットに入れて持って行ってしまう人が居ることのようで、身の回りのものをことごとく仕舞い込んである

仕舞い込んだところで、あちこち開けまわして物を持って行くわけだから意味が無い

すべての持ち物には名前が付いているので一時無くなっても夕方には介護職のお姉さんが取り返して戻してくれるのだから心配はいらないと話しても納得がいかないらしい

人間長く生きていて認知症の症状が出たときに、どこの回路が消滅してどこの回路が残るかなんて自分自身で選べるわけではないし

傍から見てちょっと迷惑な行動があったとしてもそれはご本人の人格とは別のところで・・・

その辺を理解してあげないとねと答えてみる

まぁそう言ったところで私の話なんか聞いちゃいない

一日中暇なんだからこれをどこに隠しておいたら持って行かれないか考えるのも頭の体操にはなるのか

母からすれば自分の訴えをちっとも親身になって聞かない娘も不満のタネかもしれないけどね

聞いたところでどうにもできないこっちの気持ちも考えようよ

ねぇ婆ちゃん  婆ちゃんったら!

お互いにひとの言う事を聞いてないんだから

お互い様(^-^)

| | コメント (2)

委任状

昨年末から気になっていながらも、なかなか行く気になれず一日伸ばしにしていた郵便局に確認しに行ってきた。

今すぐの必要はまったく無いし母からもそんなことを指示されていないが、いつか必ずやってくるその日のためにあまり面倒なら早く動かねばならないから。

まぁ他に自分の用事もあったし・・・

まず自分の用事を済ませ、そのまま窓口で通帳を2通出し聞いてみる。

私「この定額をこちらの普通預金の通帳に入れるにはどうしたらいいですか?」

郵「え~と、ご本人さまですか?」今自分の用事を済ませたでしょ、名前が違うでしょ。)

私「違います、実家の母の通帳ですが」

郵「そうですか、定額を解約して普通預金に入金と言うのは現金の払戻請求と同じ事になりますのでお母様の委任状をお持ちください」

私「母はギラン・バレー症候群という病気で麻痺が残っていて委任状は書けません。認知症はありませんが手は不自由です」本当は何とか字が書けるけど)

隣の男性局員となにやら話をして、今度は2人で話しに戻ってきた。

郵男「え~と、お母様は同居していらしたのでしょうか?」

私「いいえ、もともと別居で一人暮らしをしていました。今は施設で預かっていただいています」と通帳に記載されている施設の自動引き落としのところを見せる。

郵男「それでは住所は施設に?」

私「はい」

郵男「お母様の健康保険証と窓口にお出でになる方の身分証明になるものとをお持ちになって、この書類を書いてお持ちください」と保証書と書かれた用紙を一枚くれた。

内容は

下記名義人○○○○○は○○○○○の理由により、次の手続きをとることが出来ませんので、名義人に代わり、下記貯金の{払戻請求・貸付請求・再発行請求・無証書解約請求・証書払戻請求・○○○○○}を行いますが、もしこれにより後日、ゆうちょ銀行または郵便局に損害を与えた場合は、ただちに弁償します。

また、本件に関し将来、何らかの紛議が生じた場合には、私どもにおいて責任を持って解決し、貴行又は郵便局には一切迷惑をかけません。

ふ~ん

書類には母の名前と私の名前、それに連帯保証人を書く欄がある。

私「この連帯保証人と言うのは誰でもいいのでしょうか?たとえば私の主人でも?」

郵男「はい、結構です」

え~~、なんだか簡~単~!

去年相方の通帳の件でひと悶着やらかしたときは、行くたびに委任状を書かされ、なんだかんだと言って受け付けて貰えず、3回目にはとうとう相方が自分で行かなければならない羽目になった。

それに比べてこの簡単さは何だ?

私と母の姓も違う、住所も違う、なのに娘の証明をしろとも言われなかった。

実家から施設に住所が移った証明は要らないのか?

いや、簡単な事に苦情を言いたい訳では決してない。

もっと面倒なことを言われるかと楽しみにして行ったのに、あんまり簡単でつまんないなぁと・・・

ちっとも急いでいるわけじゃないし、こんなに簡単なら別にいつでもいいしなぁ。

忘れられた頃になったらまた行くかなぁ・・・

母の役所手続きに追われたこの一年、どうも自分自身の性格まで追い込まれたような気がする。

我ながら嫌なヤツになってきた。

| | コメント (0)

2009年2月22日 (日)

世帯分離について

12月8日に補助金のまとめとして書いた世帯分離の件(HP本館の介護施設の利用料金にも書いてある)

確認が取れた。

家族と暮らしていた人も施設に本入所になった場合はその時点で施設の住所での独居老人(1人世帯)扱いとなり、年金収入の低い人は段階によって負担は低く抑える事が出来る。

また、同居の家族が有る場合は世帯を分離して年金での生活を1人でしている事にすればやはり負担は抑えられるとの事(施設ではなく病気入院の場合でも食費補助が受けられる)。

夫婦で同居の場合世帯分離は難しいが、女性が遺族年金で生活している場合などは子と同世帯にしておかずに世帯を分離して一人暮らしの体裁を整えるのは最も重要と思える。

ただ・・・男性で年金の額が多いと思ったような結果が出ないこともあるとか。

それはそれで収入が多いのだからまぁ仕方が無いと言うことで。

夫婦で二人暮しだったら世帯分離は難しいけれど片方が施設入所になった時点で両方が独居老人の扱いになると考えれば随分と助かる。

この先、どうなるかは分からないけれど今のところは何とかなりそうだ。

そうなると、やっぱり施設の入所の難しさが一番の問題か。

親の介護、できるものなら自分でしたい。

けれど、到底一人で背負うには重過ぎる。

母の口から出る「家に帰ったら」を聞くのは辛い。

施設に面会に行って、帰り道の車の中はせつない空気がのしかかる。

連れて帰りたい気持ちを振り切る、ごめんねばあちゃん・・・

こんな思いを自分の娘達にもさせるのだろうか。

ちょっと疲れているので弱音を吐いた。

大丈夫、明日は明日の風が吹く。

 

| | コメント (4)

2009年2月 2日 (月)

今の母 2・2

ほぼ1ヶ月経って 今の体重は39.7キロ

高カロリー飲料は飲んだり飲まなかったり

ここまでくれば 目標の40キロまで もう一息 まぁ いいかな

手の痺れはなかなか取れないが 発症から一年 良くぞここまで回復してくれたものだと思う

首の痛みはなかなか治まらないようで まだネックカラーをつけたままである

他の整形外科に行って診てもらいたい気持ちもあるらしいが 施設の提携病院との兼ね合いもあって どうも色よい返事はもらえない

今の整形外科の医者を信じないわけではないが もう一件見てもらったら本人の気が済むのかとも思う

それにしても リウマチの薬もあるし そうそう薬が増えるのも不安は残る

高齢になると 医者にかかるにも 簡単にはいかなくなってくる

施設の意向に反してまで外の医者にかかるというのも 今後を考えると 如何なものかと

なんだか あれこれ考えて 堂々巡りの今日この頃

まぁ 私が考えたところで 何の解決にもならないのだけれど・・・

| | コメント (0)

2009年1月29日 (木)

待機順位 今頃か?

昨年4月 母の施設入所が決まってから 4件申し込んだうちの3件には 申し込み取り下げの手続きを取った

が・・・今日になって一件から待機順位の連絡が来た

なんだって今頃来たんだろう ちゃんと取り下げにわざわざ行ったのに

まぁいいかと開けてみると

待機人数 105人中  待機順位 67番だそうだ

申し込みは20年3月9日

21年1月21日の検討委員会での検討結果だそうだ

入所を希望された皆様へと別紙が添付されており 決定通知が遅れたことに対するお詫びがあったが 取り下げの申し出は伝わっていないのだろうか

10ヶ月も経って通知されてもねぇ

取り下げの連絡も伝わらないとしたら この施設に預けるには不安も大きい

3月に見学に行った時の感想では 新しいので建物は綺麗だし 広々としたスペースが取ってあって明るいし 何より我が家から近いし 私が通うには一番楽な施設だと思っていた

ただ・・・ 満室といいながらも廊下に人の気配は無く ほとんどが部屋で寝ているだけだったし 職員の数も妙に少ないような気がしていた

今になれば 申し込みに行った時に受け付けてくれたケアマネさんは取り下げに行った時にはすでに辞めていなかったし やはり色々な面できちんと管理が出来切れなかったのかもしれない

となれば ここに入所できなくて正解だったかも

それにしても 105人中67番って何年待つんだろう

高齢者福祉 国でちゃんとしてくれないかなぁ・・・

ほとんどの人が意味がないと思っている定額給付金の2兆円 それに自治体にかぶさってくる手続きの費用 数百億円 もったいないと思わないのか

他にやる事あるんじゃない?

この通知 どうしようかなぁ 放っておくか また行って取り下げた旨伝えるか・・・

| | コメント (0)

2009年1月 9日 (金)

ネックカラー装着

新しい年が明けて、母の体重も39.3キロになりやれやれとほっとしたところで昨日の朝、施設からの電話

首が痛くて頭を支えている事が出来なくなり、食事もベッドで取るようになったので受診したいとのこと

え~・・・?一瞬ギラン・バレーの再燃が頭をよぎる

まぁ確かに1ヶ月前くらいから寝違えたらしく首の筋が痛いとは言っていた

正月に行ったときは首にシップ薬を貼っていたけれど元気だったしご機嫌でいたのに

昨日はたまたま用事があってすぐに病院に行くことは出来ないと答え、用事を済ませてその足で施設に行ってみると部屋で寝ていた

あたまを支えられないのは力が入らないのかそれとも筋が痛いのかと聞いたら首の筋が痛くて上がらないらしい

ギラン・バレーの再燃では無さそうだ

夕食もベッドの縁に腰をかけサイドテーブルで食べていた

が・・・ばあちゃん、そんな不安定な格好で食べるより車椅子で食堂の方が楽な気がするよ

ベッドから起き上がるとき頭が重くて首が痛いからベッドの柵に掴まって起きるから肩も手も痛いって

ばあちゃん、ベッドの背もたれを上げたら柵に掴まるよりも楽に起き上がれるよ

そう伝えたら一言

「あ~思いつかなかったよ」と

何のための電動ベッドだい!

食事の後、しばらくは横になってはいけないとの事でベッドの縁に腰をかけゆらゆらしながら座っている

だからね、婆ちゃん ゆらゆらしながら首のバランスを取るのは辛いでしょっ

背もたれを上げて寄りかかっていたら少しは楽じゃないかい?

その後

介護職のお姉さんと看護師さん、母と私の四人で話し合った結果今日の受診となった訳である

病院の待ち合わせは10時半、その前に受付を済ませて待つために家を9時半に飛び出す

この病院、駐車場は相当に広い  

が、交通の便がとても悪いので車はそれ以上に多く、いつも置くところを探すのに苦労する

今日は相方の車を置いていってもらって乗っていく、軽なら隙間に押し込める

と思っていたらその隙間も今日は無い、しょうがないから通路の端っこに置いちゃった

受付を済ませ、送られてきた母を受け取って診察、先ずはいつも見てもらっている内科と外科の医師

昨日のうちに電話で話が伝わっていたのでここは話が早いが結局、整形外科に回され首のレントゲン検査

整形外科での診断はリウマチによる頚椎の変形から来る痛みとの事で医師は一言

「痛みはしょうがないね」と

しょうがない?!  しょうがないって事は痛くなくはならないってこと?

痛みは取れないのかと聞いたら

「取れないね~。首にカラーを巻いておくから寝る時意外は外さないように。じゃあそういうことで」と外に出された

廊下に出て、母と2人で笑った 何だか無性に可笑しくて可笑しくて

痛みは取れないんだって  しょうがないんだって

笑ってたら内科の診察室にまた呼ばれて、医師いわく

「そういうことで・・・ね。 筋のこわばりを取るお薬が出てるからこれもらって帰ってね」

以上、今日の受診

家を出てから帰るまで5時間半

結果は一言 「しょうがない」 だって

まぁ  ギラン・バレーの再燃でなくて一安心だけど

この先 痛いところばかり増えてくるのかなぁ~

 

| | コメント (0)

«年内はここまで